特集記事 Reviews
#116能楽師 一噌流笛方/笛演奏家/作曲家
一噌幸弘さん
5本の笛を同時に操る超絶技巧!
能楽の常識を覆すチャレンジ精神
2016年10月10日、石神井松の風文化公園で開催される「みどりの風 練馬薪能」。そこで笛(能管)を演奏するのが一噌幸弘さんです。「一噌流笛方」は、なんと安土桃山時代から続く流派で、初舞台は9歳。跡取りとして、さぞかし厳しく育てられてきたのかと思いきや…?
「親から、笛をやれとはまったく言われませんでした。自分からやりたくて始めて、笛の面白さに気づいたんです。父から稽古をつけられたことは、ほとんどないですね。幼い頃から父の笛を聴いていて、自然に覚えました」
能の秘曲(特定の流派や限られた人だけに伝えられる曲)も耳で覚えてしまい、父親から「なぜ知ってるんだ!?」と驚かれたそう。同じ環境で育った弟妹は音楽に興味がないというので、やはり天賦の才なのでしょう。
古典だけを演奏する笛方が多いなか、一噌さんはリコーダーなど和洋の様々な笛を操り、自ら作曲もし、「田楽(でんがく)笛」という笛まで生み出しました。
「能楽が誕生する以前から、日本には田楽能という芸能がありました。それを再現するため、過去の資料に基づき、創作したのが田楽笛です。観阿弥と世阿弥の確立した能楽は、演劇性の高いものですが、田楽能は、演劇性より音楽性を重視した、いわばミュージックダンスなので、能初心者の方も入りやすいですよ」
現在は、国内外の様々な音楽家とコラボレーションを行う一噌さん。能管の可能性を自由に、無限に広げ続けています。ゆめりあホールの毎夏恒例のコンサートでは、インドの打楽器タブラや、タップダンスとも共演。速弾きはもちろん、笛を5本同時に吹く超絶技巧を披露し、観客の度肝を抜きます。いわゆる「能」のイメージからかけ離れた演奏に、心奪われずにはいられません。
ここまで笛に傾倒したきっかけは、小学生で出会ったリコーダーでした。バッハをはじめとする西洋の音楽に出会った幸弘少年。その頃から作曲を始め、中高ではジャズやハードロック、ヘビメタ、電子音楽などあらゆる音楽に没頭。ジャンルの垣根を越えて音楽を楽しみました。「能管ではドレミは出せない」と言われていたそうですが、様々な技術を駆使し、ピアノやギター、バイオリンなどとも合奏できるまでに。
「若い頃は、父から散々文句を言われ、止められましたが(笑)。父としては周りからの風当たりが強く、複雑だったのでしょうね。それでも、無限にある可能性を、閉じ込めちゃうのはもったいないと思ったんです」
常に新しいことに挑戦し続けることをやめないのは、何より一噌さん自身が笛に魅入られ、楽しくてたまらないからなのかもしれません。
日本の伝統音楽を、
日本人自身が誇れるように
そもそも能楽は、室町時代の様々な芸能の"いいとこどり"で成立したもの。「どんな音楽ともコラボできるのは、むしろ自然なこと」というのが、一噌さんの考えです。
「ジャズやブルースは、黒人のビートから生まれました。バッハだって、仏独伊の融合ですから。音楽には本来、ジャンルなんて存在しないんです。これまで共演してきて、合わせるのが難しいと思った楽器は、ないですね。流派や年功序列の師弟関係に縛られないから、好きに試して新しい演奏が生み出せるのだと思います」
気負いなく言葉が出てくるところに、一噌さん自身が自由な心で演奏していることが伺えます。一方で古典の能楽も、一噌さんにとってなくてはならないもの。
「今は外国人のほうが、日本人より和楽器に詳しいように感じます。『外国で流行っているからいいものだ』と逆輸入しないと日本の良さを評価できないなんて、おかしな状況じゃないですか」
世襲制という保守的な世界での苦労を感じつつも、「日本の伝統を、まず日本人が理解して誇れるように」と使命感を背負う、一噌さん。薪能でどんな伝統の音楽を聞かせてくれるのか、ますます楽しみです!
(2016年9月26日)
能楽の常識を覆すチャレンジ精神
2016年10月10日、石神井松の風文化公園で開催される「みどりの風 練馬薪能」。そこで笛(能管)を演奏するのが一噌幸弘さんです。「一噌流笛方」は、なんと安土桃山時代から続く流派で、初舞台は9歳。跡取りとして、さぞかし厳しく育てられてきたのかと思いきや…?
「親から、笛をやれとはまったく言われませんでした。自分からやりたくて始めて、笛の面白さに気づいたんです。父から稽古をつけられたことは、ほとんどないですね。幼い頃から父の笛を聴いていて、自然に覚えました」
能の秘曲(特定の流派や限られた人だけに伝えられる曲)も耳で覚えてしまい、父親から「なぜ知ってるんだ!?」と驚かれたそう。同じ環境で育った弟妹は音楽に興味がないというので、やはり天賦の才なのでしょう。
古典だけを演奏する笛方が多いなか、一噌さんはリコーダーなど和洋の様々な笛を操り、自ら作曲もし、「田楽(でんがく)笛」という笛まで生み出しました。
「能楽が誕生する以前から、日本には田楽能という芸能がありました。それを再現するため、過去の資料に基づき、創作したのが田楽笛です。観阿弥と世阿弥の確立した能楽は、演劇性の高いものですが、田楽能は、演劇性より音楽性を重視した、いわばミュージックダンスなので、能初心者の方も入りやすいですよ」
現在は、国内外の様々な音楽家とコラボレーションを行う一噌さん。能管の可能性を自由に、無限に広げ続けています。ゆめりあホールの毎夏恒例のコンサートでは、インドの打楽器タブラや、タップダンスとも共演。速弾きはもちろん、笛を5本同時に吹く超絶技巧を披露し、観客の度肝を抜きます。いわゆる「能」のイメージからかけ離れた演奏に、心奪われずにはいられません。
ここまで笛に傾倒したきっかけは、小学生で出会ったリコーダーでした。バッハをはじめとする西洋の音楽に出会った幸弘少年。その頃から作曲を始め、中高ではジャズやハードロック、ヘビメタ、電子音楽などあらゆる音楽に没頭。ジャンルの垣根を越えて音楽を楽しみました。「能管ではドレミは出せない」と言われていたそうですが、様々な技術を駆使し、ピアノやギター、バイオリンなどとも合奏できるまでに。
「若い頃は、父から散々文句を言われ、止められましたが(笑)。父としては周りからの風当たりが強く、複雑だったのでしょうね。それでも、無限にある可能性を、閉じ込めちゃうのはもったいないと思ったんです」
常に新しいことに挑戦し続けることをやめないのは、何より一噌さん自身が笛に魅入られ、楽しくてたまらないからなのかもしれません。
日本の伝統音楽を、
日本人自身が誇れるように
そもそも能楽は、室町時代の様々な芸能の"いいとこどり"で成立したもの。「どんな音楽ともコラボできるのは、むしろ自然なこと」というのが、一噌さんの考えです。
「ジャズやブルースは、黒人のビートから生まれました。バッハだって、仏独伊の融合ですから。音楽には本来、ジャンルなんて存在しないんです。これまで共演してきて、合わせるのが難しいと思った楽器は、ないですね。流派や年功序列の師弟関係に縛られないから、好きに試して新しい演奏が生み出せるのだと思います」
気負いなく言葉が出てくるところに、一噌さん自身が自由な心で演奏していることが伺えます。一方で古典の能楽も、一噌さんにとってなくてはならないもの。
「今は外国人のほうが、日本人より和楽器に詳しいように感じます。『外国で流行っているからいいものだ』と逆輸入しないと日本の良さを評価できないなんて、おかしな状況じゃないですか」
世襲制という保守的な世界での苦労を感じつつも、「日本の伝統を、まず日本人が理解して誇れるように」と使命感を背負う、一噌さん。薪能でどんな伝統の音楽を聞かせてくれるのか、ますます楽しみです!
(2016年9月26日)
ゆめりあホールの演奏会の様子。 タブラや尺八、大鼓、後半には タップダンサーとセッション。 音楽に国境がないことを体現! (2016年8月)
ゆめりあホールの演奏会のチラシ
まさに神業の、笛5本吹き! 能楽の知識がなくても 純粋に楽しめる演奏会でした
所有する笛は、なんと500本。 一番古い笛は、400年前のもの。 ルネサンスリコーダーや 角笛など、能管以外の笛も多数
代々伝わる「一噌流唱歌集」。 秘曲はここに載らず 師匠から弟子へ相伝します
唱歌(左)と指付(右)の 2点セットが能管の譜面
エレクトリックリコーダーを 華麗に吹きこなすシーン 能管をアンプにつないだ経験も
笛のこととなると、 子どものように目を輝かせ、 話が止まらない一噌さん。 誰より笛に夢中なことが、 伝わってきます
プロフィール
一噌幸弘さん
いっそう ゆきひろ 安土桃山時代より続く能楽一噌流笛方、故・一噌幸政の長男として生まれる。練馬区出身・在住。能楽古典の第一線で活躍する一方、和洋の笛を吹きこなし、演奏・作曲活動に邁進。「能楽堂へ行こう」などのプロデュース公演やコンサートにも精力的。第2回「創造する伝統賞」受賞(日本文化藝術財団)。国内外の様々なジャンルの音楽家と共演。「紅白歌合戦」「題名のない音楽会」などテレビ出演も多い。趣味は釣りで、利根川渓流でイワナやヤマメを釣って楽しむ。練馬で好きな場所は、散歩コースの井頭公園〜白子川源流の森。
公式サイト
一噌幸弘公式チャンネル(YouTube)