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#113日本女子柔道オリンピックメダリスト
田辺陽子さん

"12秒の後悔"を乗り越えて
再びオリンピック決勝へ


 3回のオリンピックに出場し、銀2個、銅1個のメダルを獲得! 女子柔道の先駆けとなった田辺陽子さんは、練馬区在住です。子どものころからスポーツが得意で、小学校時代の夢はずばり「オリンピック選手」。柔道を始めたのは、なんと高校3年生の体育の授業でした。

「初めての技を覚えていくのが、とにかく楽しくて。柔道衣を着て帯を締め、畳に裸足で立つということ自体にも、神秘的な魅力を感じました」

 大学生になると、講道館に通いはじめた田辺さん。その頃、女子柔道がオリンピックの正式種目になると聞き、日の丸をつけた自分のイメージが浮かんだと言います。

「オリンピックに行けるなら、本気でやってみよう!」と本腰を入れ、見事代表選手に。女子柔道が公開競技となった1988年のソウル五輪で、銅メダルを獲得。オリンピック特有のプレッシャーがあると痛感し、「4年後を目指そう!」と魂に火がつきました。1992年のバルセロナからは女子柔道が正式種目に。田辺さんは決勝まで進出します。

「最後の30秒までフルで戦ってきて、もう1回技を出そうと、『体落(たいおとし)』をかけた。ポイントにはならなかったけど、これで優勢だ、勝ったと。時計を見たらあと"12秒"だったので、『守れば勝てる!』と思ってしまった。12秒がすごく長く感じて、最後の最後、ブザーと同時に相手に技をかけられました」

 判定の結果、敗北。守りに入ったメンタルの弱さが、明暗を分けた12秒でした。控え室に戻った記憶がないほどのショックを受け、3か月の休養の末、引退を決意しました。引退後は何もすることがなく、好きなときに起きて食べる生活だったそう。「人間が腐るな」と思っていたとき、大学院でコーチ学を学んでみないかと誘われました。

 大学院で学生と一緒に練習を再開した田辺さん。感覚が戻った頃、日本での世界選手権開催を知ります。そこでもう一度、自分の敗北を見つめ直しました。

「復帰にはエネルギーもいるし、何より『また負けるかもしれない』ことが恐かった。それでも自分にはまだ、やり残したことがあると気づいて。後悔だけはしたくなかったんです」

 ブランクを経ての復帰。「内容はよくなかった」と評しつつも勝ち続け、世界選手権で勝利し、再び代表の切符を手に入れました。迎えた1996年のアトランタ五輪。直前でケガをし、練習不足でしたが「体は忘れていない」という自信が田辺さんを支え勝ち進み、決勝を迎えます。

「当日の朝はすごく緊張しましたが、これはオリンピックでしか味わえない緊張だと思うと、とても心地よくて。また味わえたことに感謝し、一生忘れないように体にしみこませました」

 結果はかけた技を返され、敗北。でも、「守らずに戦えた」と満足が残りました。

「表彰台は、4年前とは全然違う気持ちでのぼれました。2つの銀を経験できたから、次のステップに向かえたんです」と、晴れやかに笑う田辺さん。悔しさも痛みも後悔も乗り越えた人だけが持つ、堂々とした風格に、本当の強さ、本物のカッコよさとは何かを感じました。



メダリストを育てたのは
総合体育館と母の料理だった


 現在、田辺さんは日本オリンピック委員会に所属。オリンピックとは何かを考え、伝えていく立場にいます。

「オリンピックは単なる競争ではなく、いろいろな経験から学び、人としての成長を促すもの。スポーツを通した人間教育なんです」

 地元練馬の小学校で、特別講師に呼ばれることも。2015年12月、区立光が丘春の風小学校の特別授業では、副校長先生を投げ飛ばし、大喝采!「遠い存在のオリンピックを、身近に感じてもらえて、うれしかった」ちなみに、田辺さんから見た、練馬のスポーツ環境は?

「選手時代から、谷原の総合体育館を使っているんですが、設備が充実していて、すごくいいですよ! トレーナーの方いわく、一流ジムと一緒のマシンだそうです。当時、一般の会員さんから『この間の試合、見たよ』『がんばってね!』と声をかけらるのがうれしかった。日常の触れ合いがホッとできる、大切な時間でした。本当に感謝しています」

 メダルを獲得できたのも、練馬でのこの時間があったから!? 練馬からまた未来のオリンピック選手が誕生するのも、夢ではありませんね!

(2016年3月1日)

アトランタ五輪の競技の様子 (写真提供:田辺さん)

柔道衣姿の田辺さん (写真提供:田辺さん)

アトランタ五輪の表彰式の様子 (写真提供:田辺さん)

実物の銀メダル!! 大きさは全大会で統一、純銀、 デザインに開催国の特徴が出ます

区立光が丘春の風小学校の 5・6年生を対象とした 特別授業の様子 (2015年12月)

特別授業のあと 各クラスの生徒から田辺さんに 感想が寄せられました (2015年12月)

田辺さんの仕事用の椅子は なんとバランスボール。 体幹を鍛えられ、 集中力アップにも効果的

子どものころから 料理からおやつまで、すべて 母親の手づくりだったそう。 田辺さんの頑強な体の源ですね!

プロフィール

田辺陽子さん

田辺陽子さん

たなべ ようこ 新宿区に生まれ、小学4年生で練馬区小竹町に移る。現在も区内在住。バレー、バスケ、陸上など、スポーツ万能少女で、高校3年生で柔道と出会う。1988年、ソウル五輪で銅メダル、1992年のバルセロナと1996年のアトランタで2度の銀メダルに輝く。現在は日本大学法学部准教授を勤めるかたわら、日本オリンピック委員会評議委員・アスリート専門副部会長、全日本柔道連盟理事・アスリート委員長などを多数兼任。練馬で好きな場所は、光が丘公園。今でもよく散歩やジョギングを楽しんでいる。好きなお店は、とり料理・寿ぎ乃家。選手時代に通っていて、おばあちゃんがおにぎりを作ってくれたのが、よき思い出。

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