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#107漫画家
吉沢やすみさん

石神井公園のカエルを見て
ピョン吉をひらめいた!


 最近、日本テレビ系でドラマ化され、再び注目を集めている『ど根性ガエル』。原作の舞台は石神井公園で、作者の吉沢やすみ先生は半世紀もお住まいです。ピョン吉が生まれたのも、石神井公園にカエルがいっぱいいたからでした。

「散歩していたら黒い点…? よく見たら全部カエルの目でした(笑)。ほかにも、野生の鶏が犬をやっつけたり、昔の石神井公園はすごかったんですよ!」

「1話限りの読切と思っていたので、『潰れたカエルがTシャツに貼り付いて、喋ったら面白い』と単純な発想でピョン吉は生まれました。犬だと複雑だけど、カエルなら簡単に描けるし(笑)。黄色なのは、最初にカラーで塗ったとき、緑だとわかりづらかったからです」

 作品が生まれたのは、師匠・貝塚ひろし先生のアシスタント時代でした。

「コツコツ読切を仕上げて、先生に読んでもらったら、『少年ジャンプ』の編集長につなげてくれたんです。そこで『10本描きためたら連載を始める』と言われ、先生からも『アシスタントをすぐやめなさい』と背中を押してもらいました」

 あれよあれよと、6年の人気連載に。名キャラクターも、自然と増えていきました。

「京子ちゃんは、ひろしに特定の好きな子を作ったほうがいいな、と思い登場させました。当時は寿司が憧れだったから、寿司屋の梅さんを出したりね(笑)。あとはキャラクターが自由に動き出してくれました」

 ど根性だけで乗り切る人情話。等身大の気持ちだから、読者が共感しやすかったのでしょうか。先生の肩肘張らない口調にも、作品同様に親しみやすい人柄を感じます。



連載終了後にスランプに…。
家族とピョン吉が救ってくれた


 先生の半生は、人間味にあふれていました。漫画家を志した原点は、少年時代に遡ります。

「母子家庭で貧乏でしたが、母が小説好きで、よく貸本屋に行ってました。ついでに、僕と弟に漫画を借りてきてくれたんです」

 中卒で働きつつ漫画を描くつもりでしたが、母の後押しにより高校へ進学。新聞部では、東京の漫画家を取材する企画を敢行! 赤塚不二夫、石ノ森章太郎といったそうそうたる作家を直撃しました。

「大らかな時代で、漫画誌に先生の住所、電話番号が掲載されていました。そのとき貝塚先生にお会いしたのがきっかけで、アシスタントになれたんですよ。今思うと、ご縁に恵まれました」

 そして、『ど根性ガエル』の連載。2年目からアニメも始まり、グッズが飛ぶように売れ、年収はなんと十倍に!

 家に電話とクーラーを入れ、アシスタントを雇えるように。23歳で結婚、24歳で一軒家を購入、2人の子宝に恵まれ、順風満帆でしたが…。連載終了後、スランプに陥ります。次作への期待とプレッシャーがかかり、ついには全く描けなくなったそうです。

「7本の連載と5人のアシスタントを抱えながら、どうしても仕事場に行けなくて、そのまま失踪。3万円だけ持って、雀荘を回って。負けたら帰るつもりが、そういう時に限って勝ち続けて、サウナを泊まり歩く生活でした」

 2か月後、ドン底の状態で帰った先生を、奥様は責めずに受け入れます。離婚されて当然と覚悟していたものの、逆に奥様は「私が働くから」と宣言。以降28年以上、看護師として働き、先生を支えてきました。

 先生自身、ガードマンなどのアルバイトをしたことも。そんななか、CMやドラマでピョン吉が起用され、ブームが再燃!

「おかげで子ども2人を大学に送れました。困ったとき、不思議といつも、ピョン吉が助けてくれるんですよ!」

 先生は現在、お孫さんとスケッチしたり、一緒に遊ぶのが楽しくてたまらない毎日。遊び場となるのは、やっぱり先生の大好きな石神井公園でした!

(2015年9月1日)

(C)吉沢やすみ/オフィス安井

漫画は週刊少年ジャンプ、 1970年〜1976年に発表 (C)吉沢やすみ/オフィス安井

貝塚先生のアシスタント時代。 吉沢先生は後列、右から4人目 (写真提供:オフィス安井)

山梨に暮らしていた頃 (写真提供:オフィス安井)

石神井公園の駅前に、 『ど根性ガエル』の 観光案内板があります! 孫と散歩中、 「じいじが描いたものだ!」 と言われて嬉しかったそう

2009年〜2010年に4回、 「ど根性商品券」の愛称で プレミアム付練馬区内共通商品券 にデザインされました

サイン中の先生。 ひろしはメガネから描きます

練馬駅北口「Coconeri」3階 産業・観光情報コーナーで、 サイン入りTシャツを 飾っています!

プロフィール

吉沢やすみさん

吉沢やすみさん

よしざわやすみ 1950年、山梨県山梨市生まれ。小学生から漫画を描きはじめ、中学生で漫画家になろうと決意。高校時代、新聞部の企画で東京の漫画家に会いに行き、貝塚ひろし先生と出会う。貝塚先生に誘われ、高3の夏休みにアシスタントのアルバイトをする。それが縁で卒業後、正式にアシスタントに。「2年半、下っ端でした(笑)」とのこと。そのなかで描きためていた15ページの読切が『ど根性ガエル』。連載が始まり、当初は打ち切りも危ぶまれたが徐々に人気に。アニメ化でさらに火がつき、国民的漫画に成長した。20代前半で結婚、一男一女をもうける。長女は漫画家・イラストレーターとして活躍する大月悠祐子さん。上京以来、石神井に在住。好きな場所は、「やっぱり石神井公園! 朝の散歩で一周するのが好き」。今後のことを伺うと、「老後は女房にまかせて、不良じいさんになるよ(笑)」

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