特集記事 Reviews
#104練馬を歌うシンガーソングライター
谷修さん
「帰ってきた」と思える練馬
素の自分自身に戻れる街
今や、練馬各地のイベントで引っ張りだこ! 「練馬を歌う」をキャッチフレーズに、練馬を題材にした楽曲を生み出している谷修さん。大阪から練馬にやって来たのは、ちょうど10年前でした。
「『絶対成功してやる!』と東京進出したものの、泣かず飛ばず(苦笑)。それから6年たった2011年、『千川通り』を千川通り沿いのライブハウスで歌ったら、皆さん目を閉じて情景を思い浮かべながら聴いてるんです。外から来た人間として感じたことを素直に歌にしたんですが、景色を知っている方に聴いていただくのがいいんだな、と気づいて」
そこで、自らサンプルCDを区内のお店に配って歩く営業の日々。江古田からスタートして、徐々に西の方へ。初めて「谷修さんですか」と声をかけられ、浸透してきたと実感するまで、1年かかったそうです。
「個人経営のお店が多いので、何度も通ううちに、お店の事情を聞くようになって。逆に僕が、応援したいと思うようになったんです」
そこで始めたのが、ねりうたプロジェクト。「息子を石神井公園の少年野球に送り迎えするお母さん」「建て替え前の武蔵野音楽大学」など、練馬の住人や場所を主役に、歌を作る企画です。なかでも、2014年12月末で幕を閉じた『江古田市場』の歌は、大きな反響を呼びました。
「江古田市場がなくなることを知らない人も多かったので、知ってもらいたい想いで作った歌です。12月31日、市場での最後のライブは、たくさんの方に集まっていただいて、涙していただきました。歌を通じて、人を巻きこんで、地域貢献にもなる。『ねりうた』の根源的な目的が、達成できた活動でした!」
そもそも谷修さんは、練馬のどこに、歌にするほどの魅力を感じているのでしょうか?
「僕自身、探し続けているところですが。明確な何かがあるわけじゃないんだけど、なぜか暮らしやすい。それはやっぱり"人"じゃないかなあと。東京って冷たいイメージがあるけど、こと練馬には、僕の出身地と変わらないあったかさがある。"ホームに帰ってきたな"って思えるんです」
ロマンチストゆえ作れる歌がある
夢は、練馬文化センター満員!
音楽の道を志したきっかけは、高校の頃、親友に誘われてバンドを始めたことでした。大学生でオリジナルバンドを結成するも「撃沈」し、プログラマーとして就職。1年間資金を稼いだのち、本格的にソロ活動を開始しました。
「大阪のワンマンライブで100人集まったら、東京に行こうと決意し、その目標を達成したので、上京しました」
と、強い意志を語りますが、ご家族の反対はなかったのでしょうか?
「上京のときはまだ心配をかけたくなかったので、秘密にしてました。『デビュー』『PVを作る』『カラオケに曲が入る』の3つが叶ったら、親に言おうと。車で自分の曲をかけながら打ち明けたときは、とても驚いてました(笑)」
谷修さんは、なんとテニスのコーチでもあります! 今も谷原のテニススクールで教えています。スポーツマン+ミュージシャンなんて、カッコいい!
「ステージやコートではスイッチが入って、べらべらしゃべれるんですけど。普段はシャイで人見知り。落ち込みやすくてちょっと不安定、そしてロマンチスト。でも感情の起伏があることは、アーティストには不可欠の素質だと思ってるんです。それを歌にできるから。だから落ち込んだら、『ラッキー♪』って思うようにしています(笑)」
歌声に人間味を感じるのは、このキャラクターゆえかもしれません。最後に、これからの夢を伺うと?
「ワンマンライブで、練馬文化センターの小ホールを満員にすること。いつかは大ホールも満員に!『照姫まつり・練馬まつり・谷修まつりが練馬の3大まつり』と言われるようになりたいです。紅白歌合戦に出場したら、練馬文化センターから中継しますよ!(笑)」
練馬の歌が全国に轟くよう応援しています!
(2015年6月3日
素の自分自身に戻れる街
今や、練馬各地のイベントで引っ張りだこ! 「練馬を歌う」をキャッチフレーズに、練馬を題材にした楽曲を生み出している谷修さん。大阪から練馬にやって来たのは、ちょうど10年前でした。
「『絶対成功してやる!』と東京進出したものの、泣かず飛ばず(苦笑)。それから6年たった2011年、『千川通り』を千川通り沿いのライブハウスで歌ったら、皆さん目を閉じて情景を思い浮かべながら聴いてるんです。外から来た人間として感じたことを素直に歌にしたんですが、景色を知っている方に聴いていただくのがいいんだな、と気づいて」
そこで、自らサンプルCDを区内のお店に配って歩く営業の日々。江古田からスタートして、徐々に西の方へ。初めて「谷修さんですか」と声をかけられ、浸透してきたと実感するまで、1年かかったそうです。
「個人経営のお店が多いので、何度も通ううちに、お店の事情を聞くようになって。逆に僕が、応援したいと思うようになったんです」
そこで始めたのが、ねりうたプロジェクト。「息子を石神井公園の少年野球に送り迎えするお母さん」「建て替え前の武蔵野音楽大学」など、練馬の住人や場所を主役に、歌を作る企画です。なかでも、2014年12月末で幕を閉じた『江古田市場』の歌は、大きな反響を呼びました。
「江古田市場がなくなることを知らない人も多かったので、知ってもらいたい想いで作った歌です。12月31日、市場での最後のライブは、たくさんの方に集まっていただいて、涙していただきました。歌を通じて、人を巻きこんで、地域貢献にもなる。『ねりうた』の根源的な目的が、達成できた活動でした!」
そもそも谷修さんは、練馬のどこに、歌にするほどの魅力を感じているのでしょうか?
「僕自身、探し続けているところですが。明確な何かがあるわけじゃないんだけど、なぜか暮らしやすい。それはやっぱり"人"じゃないかなあと。東京って冷たいイメージがあるけど、こと練馬には、僕の出身地と変わらないあったかさがある。"ホームに帰ってきたな"って思えるんです」
ロマンチストゆえ作れる歌がある
夢は、練馬文化センター満員!
音楽の道を志したきっかけは、高校の頃、親友に誘われてバンドを始めたことでした。大学生でオリジナルバンドを結成するも「撃沈」し、プログラマーとして就職。1年間資金を稼いだのち、本格的にソロ活動を開始しました。
「大阪のワンマンライブで100人集まったら、東京に行こうと決意し、その目標を達成したので、上京しました」
と、強い意志を語りますが、ご家族の反対はなかったのでしょうか?
「上京のときはまだ心配をかけたくなかったので、秘密にしてました。『デビュー』『PVを作る』『カラオケに曲が入る』の3つが叶ったら、親に言おうと。車で自分の曲をかけながら打ち明けたときは、とても驚いてました(笑)」
谷修さんは、なんとテニスのコーチでもあります! 今も谷原のテニススクールで教えています。スポーツマン+ミュージシャンなんて、カッコいい!
「ステージやコートではスイッチが入って、べらべらしゃべれるんですけど。普段はシャイで人見知り。落ち込みやすくてちょっと不安定、そしてロマンチスト。でも感情の起伏があることは、アーティストには不可欠の素質だと思ってるんです。それを歌にできるから。だから落ち込んだら、『ラッキー♪』って思うようにしています(笑)」
歌声に人間味を感じるのは、このキャラクターゆえかもしれません。最後に、これからの夢を伺うと?
「ワンマンライブで、練馬文化センターの小ホールを満員にすること。いつかは大ホールも満員に!『照姫まつり・練馬まつり・谷修まつりが練馬の3大まつり』と言われるようになりたいです。紅白歌合戦に出場したら、練馬文化センターから中継しますよ!(笑)」
練馬の歌が全国に轟くよう応援しています!
(2015年6月3日
ねりうたのCDは 似顔絵イラストが目印です(*)
2014年の練馬文化センター ワンマンライブの様子(*)
桜台まつりでのステージ。 区内の商店会長さんから お呼びがかかる人気者!(*)
尊敬するミュージシャンは 小田和正さん。 「考え抜かれたシンプルさ」 が、目標とのこと
コーチを務める サントピア テニスパークの テーマソングも歌っています(*)
2012年からほぼ毎月、 宮城県の亘理町で 被災地支援を続けています(*)
2013年、亘理町で 上演した舞台。 演技は未経験ながらも挑戦。 歌も演技もテニスもこなす 多才なアーティストです!(*)
2015年の「練文ライブ」は、 555人が目標! 10月31日(土)に 開催予定(*)
(*)…写真提供:谷修さん
プロフィール
谷修さん
たにしゅう 1977年生まれ、大阪府豊中市出身。高校でバンドをはじめ、2002年より本格的にソロ活動を始める。2005年、東京進出。最初に住んだのは江古田で、徐々に練馬区内を西へ移動し、現在は大泉学園に在住。『千川通り』『桜台駅途中下車』『谷原交差点』など、練馬を題材にした曲で話題に。練馬ファミリーまつり、アニメプロジェクトin大泉などのイベントに呼ばれて歌うほか、『なかむらばし猫飛(ニャンピー)音頭』の作詞作曲など様々なオファーも。年1回、練馬文化センターでのワンマンライブを開催。「本拠地を作りたい」という想いから、桜台cafe eightで定期ライブ(毎月第3金曜日、夜7時から)も行う。宮城県は亘理町の被災地支援も行っている。趣味は野球で、阪神ファン。「最強の素人」を自称し、春日町のバッティングセンターに通っている。甘いものも好きで、練馬でのお気に入りは江古田の喫茶店・トレボンのロイヤルミルクティー。ここでよく作詞もしている。