特集記事 Reviews
#085 漫画家・アニメーション作家
松本 零士さん
破天荒な少年時代
練馬・大泉との不思議な運命
『銀河鉄道999』『キャプテンハーロック』など数々の名作で知られる大作家! 「編集部の紹介で住み始めた」という練馬とは、偶然にも不思議な縁でつながっていました。
「父親が旧陸軍のパイロットで、入間飛行場に赴任した際、練馬の上を飛び回っていたんです。成増にあった飛行場に最初に着陸したのも、親父らしいですよ」
「今の大泉の住居は昭和13年の区画で、私が生まれた年なんです。当時は畑だらけの中に、画家のアトリエが数軒。なぜか芸術家が集まる土地なんですよね。偶然にも、東映撮影所や牧野記念庭園が近くにあって。小倉にいたころから牧野富太郎博士の図鑑を漫画を描くときの資料にしていたので、不思議な縁を感じました。練馬を離れる意志は一切なく、ここが終の棲家です!」
と、熱く“練馬愛”を語る先生。その原点は、少年時代に遡ります。
「ハチミツとハチノコを食いたい一心で、スズメバチの巣を襲ってました。毒蛇と知らずにブラ下げて帰ったり、沈没船にいる魚を獲ったり…。酒は小学2年の時、先生に『俺の杯が飲めんのか!』と飲まされたのが最初(笑)。普段は飲まないけど、飲めば無限にいけます」
そんな古き良き時代の体験がすべて、“参考資料”として作品に活きています。3〜4日寝ずに仕事をしたりと、漫画家になってからも豪快伝説は続きます!
「下宿時代、下着の中にキノコが生えて(笑)。図鑑に『食用』とあったので、インスタントラーメンに入れて、ちばてつや氏に食わせたんです。『うまい』って言ってたのがおかしくってね(笑)」
「『銀河鉄道999』を5回分書いたあと、ライオンと決闘しにアフリカに旅立ちました(笑)。人気が出なければ打ち切りと言われたけど、帰ってきたら連載が決まってたんです」
「泣くなかあちゃん、俺がおる!」
家族を背負うため、漫画家の道へ
2013年で、漫画家60周年を迎えた松本先生。漫画家を志した理由は意外にも、家族を養うためでした。
「野菜を売り歩く貧しい生活で、母親が歯を食いしばってる姿を見て、子ども心に『泣くなかあちゃん、俺がおる!』と男の血が燃えましたね。遊ぶなんて念頭になく、一家を背負おうと」
「本当は大学に行きたかったんです。でもすでに連載を始めていたので、俺が家族全員を守らなくちゃいけない。弟たちを大学に行かせてやろう! と決意しました」
死んでも帰らん! と覚悟を決め、東京行きの列車に飛び乗ったのは、高校を卒業したばかりの18歳の時でした。
「その想いを、『銀河鉄道999』の星野鉄郎に託したんです。僕の隣にメーテルはいなかったけどね(笑)。そういう一生の決断は、誰でも生涯に一度はあるんじゃないかな?」
かくして、漫画家の道を歩き始めた松本少年。
「先輩が偉大であればあるほど、違うものを描いて、自分の作風を確立しなきゃいけない。真似は最大の屈辱なので、セリフ1つにも細心の注意を払いました。人名や地名などの造語も、どの国や宗派にも失礼がないよう、すべて語源を確かめますね」
「ちなみにメーテルはラテン語でMotherを意味する『メーテール』から付けました。エメラルダスはエメラルドから。衣装が赤いのは、赤い宝石だと思いこんでたからです(笑)」
と、ちょっとお茶目なところも、先生の人間味! 友人に恵まれたと語るのも、その魅力ゆえでしょうか。
「負けず嫌いで、血まみれのケンカもたくさんしました。でも卒業の時には、『お前の信念は必ず貫ける。信じているぞ』と寄せ書きしてくれたり。そんな友達は今でも大切で、何かあれば飛んでいきますよ!」
一方で、様々な別れにも立ち会ってきました。
「共に志を立てた漫画仲間の多くも、現役から去っていきました。だからこそ僕には、やらなきゃいけないことがまだまだある。構想中の企画が、何本もあるんですよ!」
家族や友の想いを継ぎ、夢を語る先生の目は、今でもキラキラと少年のよう。果てしのない人生の“航海”に、終わりなどないようです。
(平成25年11月1日)
練馬・大泉との不思議な運命
『銀河鉄道999』『キャプテンハーロック』など数々の名作で知られる大作家! 「編集部の紹介で住み始めた」という練馬とは、偶然にも不思議な縁でつながっていました。
「父親が旧陸軍のパイロットで、入間飛行場に赴任した際、練馬の上を飛び回っていたんです。成増にあった飛行場に最初に着陸したのも、親父らしいですよ」
「今の大泉の住居は昭和13年の区画で、私が生まれた年なんです。当時は畑だらけの中に、画家のアトリエが数軒。なぜか芸術家が集まる土地なんですよね。偶然にも、東映撮影所や牧野記念庭園が近くにあって。小倉にいたころから牧野富太郎博士の図鑑を漫画を描くときの資料にしていたので、不思議な縁を感じました。練馬を離れる意志は一切なく、ここが終の棲家です!」
と、熱く“練馬愛”を語る先生。その原点は、少年時代に遡ります。
「ハチミツとハチノコを食いたい一心で、スズメバチの巣を襲ってました。毒蛇と知らずにブラ下げて帰ったり、沈没船にいる魚を獲ったり…。酒は小学2年の時、先生に『俺の杯が飲めんのか!』と飲まされたのが最初(笑)。普段は飲まないけど、飲めば無限にいけます」
そんな古き良き時代の体験がすべて、“参考資料”として作品に活きています。3〜4日寝ずに仕事をしたりと、漫画家になってからも豪快伝説は続きます!
「下宿時代、下着の中にキノコが生えて(笑)。図鑑に『食用』とあったので、インスタントラーメンに入れて、ちばてつや氏に食わせたんです。『うまい』って言ってたのがおかしくってね(笑)」
「『銀河鉄道999』を5回分書いたあと、ライオンと決闘しにアフリカに旅立ちました(笑)。人気が出なければ打ち切りと言われたけど、帰ってきたら連載が決まってたんです」
「泣くなかあちゃん、俺がおる!」
家族を背負うため、漫画家の道へ
2013年で、漫画家60周年を迎えた松本先生。漫画家を志した理由は意外にも、家族を養うためでした。
「野菜を売り歩く貧しい生活で、母親が歯を食いしばってる姿を見て、子ども心に『泣くなかあちゃん、俺がおる!』と男の血が燃えましたね。遊ぶなんて念頭になく、一家を背負おうと」
「本当は大学に行きたかったんです。でもすでに連載を始めていたので、俺が家族全員を守らなくちゃいけない。弟たちを大学に行かせてやろう! と決意しました」
死んでも帰らん! と覚悟を決め、東京行きの列車に飛び乗ったのは、高校を卒業したばかりの18歳の時でした。
「その想いを、『銀河鉄道999』の星野鉄郎に託したんです。僕の隣にメーテルはいなかったけどね(笑)。そういう一生の決断は、誰でも生涯に一度はあるんじゃないかな?」
かくして、漫画家の道を歩き始めた松本少年。
「先輩が偉大であればあるほど、違うものを描いて、自分の作風を確立しなきゃいけない。真似は最大の屈辱なので、セリフ1つにも細心の注意を払いました。人名や地名などの造語も、どの国や宗派にも失礼がないよう、すべて語源を確かめますね」
「ちなみにメーテルはラテン語でMotherを意味する『メーテール』から付けました。エメラルダスはエメラルドから。衣装が赤いのは、赤い宝石だと思いこんでたからです(笑)」
と、ちょっとお茶目なところも、先生の人間味! 友人に恵まれたと語るのも、その魅力ゆえでしょうか。
「負けず嫌いで、血まみれのケンカもたくさんしました。でも卒業の時には、『お前の信念は必ず貫ける。信じているぞ』と寄せ書きしてくれたり。そんな友達は今でも大切で、何かあれば飛んでいきますよ!」
一方で、様々な別れにも立ち会ってきました。
「共に志を立てた漫画仲間の多くも、現役から去っていきました。だからこそ僕には、やらなきゃいけないことがまだまだある。構想中の企画が、何本もあるんですよ!」
家族や友の想いを継ぎ、夢を語る先生の目は、今でもキラキラと少年のよう。果てしのない人生の“航海”に、終わりなどないようです。
(平成25年11月1日)
「アニメプロジェクトin
大泉2013」
松本先生の画業60周年
記念トークショーに
大勢の人が詰めかけました
ゆめーてる商店街の
キャラクター
「ゆめーてるちゃん」
松本先生の書き下ろし!
東京都観光汽船のヒミコ。
デザインしたのは松本先生。
工学博士の弟・松本將さんが
設計を担当。
いわば兄弟合作!
デザイン電車が運行中!
(西武池袋線など)
©Leiji Matsumoto,
SEIBU Railway Co.,LTD.
「銀河鉄道999」のエコカーは
練馬区の公用車。
スケールモデルも
通販しています
先生のご自宅は
グッズや資料があふれ
まさに宝の山状態!
サインをいただきました!
ちなみにメーテルは、
先生の理想の女性です
プロフィール
松本 零士さん
1938年福岡県久留米生まれ。練馬区名誉区民。7歳で終戦を迎え、小倉で育つ。当時の小倉は映画館が31館あり、本屋も多く、大手新聞社もある文化と学問の地だったことも、少年時代の感性に影響を与えた。先祖は愛媛で、武家の血筋。父親は旧陸軍航空部隊のパイロット、母親は女学校の先生で薙刀を振り回していた。7人兄弟の真ん中で、親族の絆は強い。18歳で上京。文京区本郷で下宿生活し、著名な漫画家と交流、そののち大泉に移る。手塚治虫、石ノ森章太郎と共に「自称3大アニメマニア」を称し、アニメの研究に没頭していた時期もある。2013年公開の映画『キャプテンハーロック』では原作総設定を務め、各国の海外遠征も果たした。「宇宙には国境がない」「将来はみんな“地球人”になる」をモットーに、宇宙開発にも協力している。妻も漫画家。
オフィシャルサイト