#083 クレイドール&旅スケッチ作家
ごとうゆきさん
公開:2013.09.02

笑顔の人形を作るときは、
自分も笑顔になっている!
愛らしいしぐさ、あたたかな色づかい…見ているだけで癒されてしまう、赤ちゃんのクレイドール(粘土の人形)。「ぷぷ」と名付け、世に送り出しているのが、区内在住の作家・ごとうゆきさんです。
「40代に入ってから、子どもがいない独り身がすごくさびしくなって。日常のあたたかい空気や、さりげないポーズの子どもを表現したくなったんです。ニコニコ顔を作るときは、『笑おうねー』って語りかけながら、私も笑顔になるんですよ(笑)」
知人のベビーマッサージ教室に見学に行くなど、地道に赤ちゃんを観察しているとのこと。
「そこでスケッチさせてもらうんですが、『ちゅぱちゅぱとおっぱい飲むんやなぁ』『ホントにおしっこ飛ばすんや!(笑)』と、発見と癒しの場ですね」
クスッと笑えるユーモアが入り混じるのが、ごとうさんの世界。たとえば愛くるしい天使…なのに、腰に手を当てて栄養剤を飲んでいたり(笑)。カッコつけない人間臭さが、人形をよりキュートにしています!
32歳で人生をリセット!
自分にしかできないことをやる
クレイドールで自分の世界を表現する一方、仕事では、クライアントと向き合い、話し合いながら作り上げることを大切にしています。多忙な毎日ですが、その出発は、32歳からでした!
「バブル崩壊で会社が倒産。さらに離婚が重なり、ボロボロに…。とにかくリセットしたくて、一大決心でアートの世界に飛び込みました。たまたま兄がイラストレーターをしていて、近道を教えてくれたんです。『この道で生きていくには、万人に愛されるような作品を作ること。それは、見た目は丸く、暖色で、笑顔を描くこと』だと」
地元の明石市から出てきたのも、「東京のほうが仕事をしやすい」と聞いての即断でした。
「夜行電車で安アパートに着いた初日は、ガスも電気もまだで、部屋のなかで震えながらダンボールで暖をとりました(笑)。今だって、自分が働かなければ、家賃も払えないし、誰も守ってくれない。常に背水の陣ですね!」
とにかく自分の作品を使ってほしくて、企業に電話をかけては飛び込み営業。ごとうさんのバイタリティは、“底”を経験した人間の強さなのかもしれません。
「長い間、自分の作った人形に対する希望金額を請求することに躊躇していました。でも、そのお金で私が活動すれば、誰かに還元できる。綺麗事ばかり言わず、お金をしっかり頂くのは悪いことじゃないと思うようになりました」
そのベクトルは、東北被災地などのボランティアに向かっています。
「大震災の直後、ボランティアに行きました。そこでテントに絵を描く仕事があって。私だからできることが大切なんだ、と実感しました。常々、誰かのために何かしたいと思っていたんです」
それは、先見的な母親の影響でもあったそう。
「今、82歳の母は、『育児をしないのがどれだけ楽なことか。せめて、あんたにしかできないことを精一杯やりなさい!』と言います。母自身、本当は好きな仕事をもっと続けたかったけど、育児や夫の転勤などでやめざるを得なかった。だから娘に同じ思いをさせたくなかったのだと思います。私が30代でフリーランスになると言ったときも、迷わず背中を押してくれました。私が働くのは、母の夢をかなえるためでもありますね」
母の思いを受け止めて、それを作品という形にして、誰かに返していく。優しさの連鎖が、今のごとうさんを支えています。
(平成25年9月2日)
自分も笑顔になっている!
愛らしいしぐさ、あたたかな色づかい…見ているだけで癒されてしまう、赤ちゃんのクレイドール(粘土の人形)。「ぷぷ」と名付け、世に送り出しているのが、区内在住の作家・ごとうゆきさんです。
「40代に入ってから、子どもがいない独り身がすごくさびしくなって。日常のあたたかい空気や、さりげないポーズの子どもを表現したくなったんです。ニコニコ顔を作るときは、『笑おうねー』って語りかけながら、私も笑顔になるんですよ(笑)」
知人のベビーマッサージ教室に見学に行くなど、地道に赤ちゃんを観察しているとのこと。
「そこでスケッチさせてもらうんですが、『ちゅぱちゅぱとおっぱい飲むんやなぁ』『ホントにおしっこ飛ばすんや!(笑)』と、発見と癒しの場ですね」
クスッと笑えるユーモアが入り混じるのが、ごとうさんの世界。たとえば愛くるしい天使…なのに、腰に手を当てて栄養剤を飲んでいたり(笑)。カッコつけない人間臭さが、人形をよりキュートにしています!
32歳で人生をリセット!
自分にしかできないことをやる
クレイドールで自分の世界を表現する一方、仕事では、クライアントと向き合い、話し合いながら作り上げることを大切にしています。多忙な毎日ですが、その出発は、32歳からでした!
「バブル崩壊で会社が倒産。さらに離婚が重なり、ボロボロに…。とにかくリセットしたくて、一大決心でアートの世界に飛び込みました。たまたま兄がイラストレーターをしていて、近道を教えてくれたんです。『この道で生きていくには、万人に愛されるような作品を作ること。それは、見た目は丸く、暖色で、笑顔を描くこと』だと」
地元の明石市から出てきたのも、「東京のほうが仕事をしやすい」と聞いての即断でした。
「夜行電車で安アパートに着いた初日は、ガスも電気もまだで、部屋のなかで震えながらダンボールで暖をとりました(笑)。今だって、自分が働かなければ、家賃も払えないし、誰も守ってくれない。常に背水の陣ですね!」
とにかく自分の作品を使ってほしくて、企業に電話をかけては飛び込み営業。ごとうさんのバイタリティは、“底”を経験した人間の強さなのかもしれません。
「長い間、自分の作った人形に対する希望金額を請求することに躊躇していました。でも、そのお金で私が活動すれば、誰かに還元できる。綺麗事ばかり言わず、お金をしっかり頂くのは悪いことじゃないと思うようになりました」
そのベクトルは、東北被災地などのボランティアに向かっています。
「大震災の直後、ボランティアに行きました。そこでテントに絵を描く仕事があって。私だからできることが大切なんだ、と実感しました。常々、誰かのために何かしたいと思っていたんです」
それは、先見的な母親の影響でもあったそう。
「今、82歳の母は、『育児をしないのがどれだけ楽なことか。せめて、あんたにしかできないことを精一杯やりなさい!』と言います。母自身、本当は好きな仕事をもっと続けたかったけど、育児や夫の転勤などでやめざるを得なかった。だから娘に同じ思いをさせたくなかったのだと思います。私が30代でフリーランスになると言ったときも、迷わず背中を押してくれました。私が働くのは、母の夢をかなえるためでもありますね」
母の思いを受け止めて、それを作品という形にして、誰かに返していく。優しさの連鎖が、今のごとうさんを支えています。
(平成25年9月2日)

オリジナルキャラクター
「ぷぷ」
石神井公園で撮影
(写真提供:ごとうさん)

オリジナル作品
「ある晴れた日曜日の朝」
(写真提供:ごとうさん)

成増ロンドスイミング
スクールの2013年のイメージ (写真提供:ごとうさん)

成増ロンドスイミング
スクールで作品展を開催
(2011年)
(写真提供:ごとうさん)

神戸北野異人館で
開催した作品展(2013年)
(写真提供:ごとうさん)

石神井学園で
作品展と粘土教室を開催
(写真提供:ごとうさん)

書籍の表紙の仕事

旅スケッチの仕事。
「観光地の絶景より
住民の日常風景に
惹かれる」とのこと

明るく軽快な関西弁で、
聴いているだけで
元気がもらえました!
