特集記事 Reviews
#079 ラバネロ フレームビルダー
高村 精一さん
「1年待ってよかった」と言われる
その人のための自転車を作る!
桜台の閑静な住宅街で異彩を放つ、ロードバイクの群れ。中を覗くと専門のパーツがずらり…。「自転車屋らしくないでしょ?」と語るオーナーの高村さんは、選手としての数々実績をあげたのち、自転車店を開業。独学で開発したフレームは、オリンピックの選考会で使用されるなど、高い評価を受けています。
「一人一人違う体のつくりに合わせた、その人だけのフルオーダーの自転車を作ってます。いろいろ乗ってきた人が、最後に『やっぱり高村だね!』と依頼しに来てくれるのが、うれしいですね」
メンテナンスはもちろん、乗り方から筋肉の使い方まで丁寧に教えてくれるサービスからも、自転車への熱い思いが伝わってきます。製作は月20台が限界で、今注文しても、なんと1年後に完成という状況!
「『待ってよかった』と言ってもらえる自転車をつくれば、また来てもらえるんです。一度やめて、趣味で再開する元選手も多いけど、みんな当時の愛車を手放さないでいてくれる。長く乗れるように作っているし、何より“青春”が詰まってるからね」
高村さんの言葉には、自分で道を切り開いてきた自信が満ち溢れています。しかしその道は、平坦ではありませんでした。
「実家の精密機械工場が、オイルショックのあおりで倒産して…。それで、趣味だった自転車屋に転向したんです。そうしたら、市販品の寸法が気に入らなくて(笑)。自分でフレームから作り始めました」
「やっと店が軌道にのった頃、隣家の火事をもらって全焼。そのとき、問屋の知人が『支払いはいつでもいいから』と品物を貸してくれて。再建できたのは、そのおかげだね」
人の縁に恵まれたのは、自身も人とのつながりを大切にしているからかもしれません。現在は「チームラバネロ」の監督として、若手選手の育成に力を注いでいます。
人生相談役にもなる「お父さん」
教え子の成長も楽しみ
「家庭的なチームづくりを目指していて、小学生から60代までいます。居間に25人くらい集まってワイワイ宴会、なんてこともよくあるよ(笑)」
そんな自転車人生の原点は、練馬での子ども時代に遡ります。
「手先は昔から器用でした。工作も好きで、ゴム動力の飛行機を作ったり。だから実家の手伝いも楽しかったですね。すべてのことが、今の仕事に役立ってるんです。好きなことに向かっていったら、自然とそうなりました」
2012年にプロの「ガールズケイリン」が始まり、女性の入門も増加中。一気に上達する男の子に対して、女の子は徐々に着実に力をつけるのが特徴とのこと。ここに通えば、オリンピック選手も夢じゃない!?
「今の子の環境は羨ましい。でも、自分の自転車を直せる子がいません。やってくれる人がいるからできないし、やろうとしない。僕は、『壊していいからやってみろ』と言うんですがね」
本気で世界を目指す選手も、趣味やダイエットが目的の人も受け入れる門戸の広さで、会員数は今や130名超に。基礎からみっちり教えてくれて、会費は月1,000円。
自転車以外に、人生相談をされることも少なくないそう。教え子同士の結婚のキューピッドになったことも! 教えるのは自転車だけでなく、人生そのものなんですね。
「教え子の成長を見るのは趣味、仕事も趣味。好きじゃないとできません(笑)。今70歳だけど、25歳だったらいいのにって思うんですよ。やりたいことが、まだまだいっぱいあるからね!」
大望を語る晴れやかな笑顔に、充実の人生が反映されています。
(平成25年5月1日)
その人のための自転車を作る!
桜台の閑静な住宅街で異彩を放つ、ロードバイクの群れ。中を覗くと専門のパーツがずらり…。「自転車屋らしくないでしょ?」と語るオーナーの高村さんは、選手としての数々実績をあげたのち、自転車店を開業。独学で開発したフレームは、オリンピックの選考会で使用されるなど、高い評価を受けています。
「一人一人違う体のつくりに合わせた、その人だけのフルオーダーの自転車を作ってます。いろいろ乗ってきた人が、最後に『やっぱり高村だね!』と依頼しに来てくれるのが、うれしいですね」
メンテナンスはもちろん、乗り方から筋肉の使い方まで丁寧に教えてくれるサービスからも、自転車への熱い思いが伝わってきます。製作は月20台が限界で、今注文しても、なんと1年後に完成という状況!
「『待ってよかった』と言ってもらえる自転車をつくれば、また来てもらえるんです。一度やめて、趣味で再開する元選手も多いけど、みんな当時の愛車を手放さないでいてくれる。長く乗れるように作っているし、何より“青春”が詰まってるからね」
高村さんの言葉には、自分で道を切り開いてきた自信が満ち溢れています。しかしその道は、平坦ではありませんでした。
「実家の精密機械工場が、オイルショックのあおりで倒産して…。それで、趣味だった自転車屋に転向したんです。そうしたら、市販品の寸法が気に入らなくて(笑)。自分でフレームから作り始めました」
「やっと店が軌道にのった頃、隣家の火事をもらって全焼。そのとき、問屋の知人が『支払いはいつでもいいから』と品物を貸してくれて。再建できたのは、そのおかげだね」
人の縁に恵まれたのは、自身も人とのつながりを大切にしているからかもしれません。現在は「チームラバネロ」の監督として、若手選手の育成に力を注いでいます。
人生相談役にもなる「お父さん」
教え子の成長も楽しみ
「家庭的なチームづくりを目指していて、小学生から60代までいます。居間に25人くらい集まってワイワイ宴会、なんてこともよくあるよ(笑)」
そんな自転車人生の原点は、練馬での子ども時代に遡ります。
「手先は昔から器用でした。工作も好きで、ゴム動力の飛行機を作ったり。だから実家の手伝いも楽しかったですね。すべてのことが、今の仕事に役立ってるんです。好きなことに向かっていったら、自然とそうなりました」
2012年にプロの「ガールズケイリン」が始まり、女性の入門も増加中。一気に上達する男の子に対して、女の子は徐々に着実に力をつけるのが特徴とのこと。ここに通えば、オリンピック選手も夢じゃない!?
「今の子の環境は羨ましい。でも、自分の自転車を直せる子がいません。やってくれる人がいるからできないし、やろうとしない。僕は、『壊していいからやってみろ』と言うんですがね」
本気で世界を目指す選手も、趣味やダイエットが目的の人も受け入れる門戸の広さで、会員数は今や130名超に。基礎からみっちり教えてくれて、会費は月1,000円。
自転車以外に、人生相談をされることも少なくないそう。教え子同士の結婚のキューピッドになったことも! 教えるのは自転車だけでなく、人生そのものなんですね。
「教え子の成長を見るのは趣味、仕事も趣味。好きじゃないとできません(笑)。今70歳だけど、25歳だったらいいのにって思うんですよ。やりたいことが、まだまだいっぱいあるからね!」
大望を語る晴れやかな笑顔に、充実の人生が反映されています。
(平成25年5月1日)
ラバネロの外観
店内は組み立てスペースに
なっている
ケースに飾られた
トロフィーが実績を物語る
隣接する作業場。
タイヤやフレームが
所狭しと並ぶ
専門的な話も、次々と
わかりやすく説明
してくれる高村さん。
サービス精神たっぷり!
東京オリンピック時に
手作りした練習用の
ローラーは、今も現役!
奥さん専用の小型車は
もちろん高村さん作。
夫婦の愛が詰まった1台
イタリア語で「大根」を
意味するラバネロ。
トレードマークは
もちろん練馬大根!
プロフィール
高村 精一さん
1943年生。生まれも育ちも桜台。子ども時代は石神井川でザリガニを採ったり、川を遡って豊島園にこっそり入ったりして遊んだ。小学生の頃は、1時間10円の貸し自転車に乗っていたそう。昔の練馬を知る者として、今も練馬で畑を見るとホッとする、そう。中学生でサイクリングの魅力にとりつかれ、競技の道へ。全日本学生選手権スプリント優勝・国民体育大会優勝などの実績を残す。大学卒業後は、家業の精密機械工業を継ぐ。1974年タカムラサイクルを開業し、独自のフレーム理論を確立。全車種のフルオーダーを請け負っているのは、日本では2〜3軒という中の1軒。1994年、日本オリンピック委員会強化スタッフスポーツコーチに任命。2000年には、シドニーパラリンピックコーチとして金メダル獲得に貢献した。自転車クラブチーム「チームラバネロ」では、監督、コーチ、メカニシャン、マッサージャーなどマルチにこなす。ツール・ド・北海道では個人総合優勝を3回達成した。また、実業団自転車チーム「パールイズミ・スミタ・ラバネロ」も主宰している。
ラバネロ