#077 西洋菓子おだふじ オーナーシェフ (ねりまベリー交流会 会長)
小林賢司さん
公開:2013.03.01

風呂なしアパートから出発した
お菓子職人への第一歩
今やTVや雑誌で紹介される人気洋菓子店となった「おだふじ」ですが、最初からそうだった訳でもなく…。まずは小林さんの修業時代のお話から。
「修行を始めた頃は、風呂なしアパートの貧乏暮らしでした。当時はバブル絶頂期だったので、友人はみんなスキーだペンションだと遊び回っていました。なのに自分は、銭湯に行くのもままならず、頭にヤカンのお湯をかけて髪を洗う日々。嫌で嫌でしょうがなかった(笑)」
毎日朝5時半起きで帰宅は22時、休みは少なく、給料はサラリーマン平均初任給の4分の1程度、しかもオーナーや先輩に怒鳴られる毎日…。
こんな厳しい世界の「やめたい」から、「楽しい!」に変わったのは3年目のことでした。
「できなかった技術のひとつひとつが、ふと振り返った時にできるようになっていたんです。ようやく、この道でやっていくという覚悟が決まりました。それからは、辛いことがあっても、能動的に考えられるようになりましたね」
その後、11年で4店の洋菓子店を渡って、必要な技能を身に着けました。その中で小林さんが自分に課していたことは、逃げるように辞めるのではなく、店の人から「ご苦労さん!」と言われてきちんと辞めることでした。そしてまた、次の店へ…。募集なんかしてなくても、ここぞという店にアポなしで「お願いします」と飛び込み。熱意が伝わるから、断られなかったと言います。そして1999年、念願の自店をオープンしました!
「大泉を選んだのは、正直、たまたまなんです(笑)。資金が足りなくて、人づてに『閉める店がある』と聞いて、格安で買い取った。でも最初は、閑古鳥の日々。看板を書き換えた程度だから、当たり前ですよね」
転機は、お客さんの紹介で取材が来て、地域新聞に小さな記事が載ったことでした。そこから地元客がリピーターとなり、人が人を呼んで…。2010年には、現在の広い店へと移転しました。従業員は今や17人! 和気あいあいと働いています。
「北海道、沖縄、韓国から来た社員もいます。不器用でも関係ない。雇う時、重視するのは熱意です。徒弟の世界で自分も先輩から教えてもらったから、若い子たちを育てるのは義務だと思うようになりました。将来、それぞれが自分のお店を持てるように教育しています」
「お菓子を作ってよかった!」と
思った、親子との出会い
地元とのつながりで、「ねりまベリー交流会」にも参加し、現在は会長も務める小林さん。毎年ベリーフェスティバルに、新作を出品しています。
「ねりまベリー交流会がなければ、農家の方とこんなに知り合えなかったと思います。練馬産の紫芋でスイートポテト、採れたてトマトでアイスクリームを作ったり…。可能性がどんどん広がります。これからも、練馬発の作品を作っていきたい!」
お菓子作りの話になると、言葉にいっそう熱がこもる小林さん。最後に、14年のおだふじ人生のなかで、何が印象に残っているかを尋ねました。
「拒食症の女の子の知人が、うちのお客様で。ダメ元でうちのクッキーをお見舞いに持って行ったそうなんです。そしたら、それだけは食べてくれるようになったと…。半年後、退院したその子が泣きながら挨拶に来てくれました。その時ほど、『お菓子を作ってきて良かった』と思ったことはないですね。一生忘れられない出来事です」
心をこめて作った一品が、人の心に届く…。お菓子職人冥利に尽きるお話でした。
(2013年3月1日)
お菓子職人への第一歩
今やTVや雑誌で紹介される人気洋菓子店となった「おだふじ」ですが、最初からそうだった訳でもなく…。まずは小林さんの修業時代のお話から。
「修行を始めた頃は、風呂なしアパートの貧乏暮らしでした。当時はバブル絶頂期だったので、友人はみんなスキーだペンションだと遊び回っていました。なのに自分は、銭湯に行くのもままならず、頭にヤカンのお湯をかけて髪を洗う日々。嫌で嫌でしょうがなかった(笑)」
毎日朝5時半起きで帰宅は22時、休みは少なく、給料はサラリーマン平均初任給の4分の1程度、しかもオーナーや先輩に怒鳴られる毎日…。
こんな厳しい世界の「やめたい」から、「楽しい!」に変わったのは3年目のことでした。
「できなかった技術のひとつひとつが、ふと振り返った時にできるようになっていたんです。ようやく、この道でやっていくという覚悟が決まりました。それからは、辛いことがあっても、能動的に考えられるようになりましたね」
その後、11年で4店の洋菓子店を渡って、必要な技能を身に着けました。その中で小林さんが自分に課していたことは、逃げるように辞めるのではなく、店の人から「ご苦労さん!」と言われてきちんと辞めることでした。そしてまた、次の店へ…。募集なんかしてなくても、ここぞという店にアポなしで「お願いします」と飛び込み。熱意が伝わるから、断られなかったと言います。そして1999年、念願の自店をオープンしました!
「大泉を選んだのは、正直、たまたまなんです(笑)。資金が足りなくて、人づてに『閉める店がある』と聞いて、格安で買い取った。でも最初は、閑古鳥の日々。看板を書き換えた程度だから、当たり前ですよね」
転機は、お客さんの紹介で取材が来て、地域新聞に小さな記事が載ったことでした。そこから地元客がリピーターとなり、人が人を呼んで…。2010年には、現在の広い店へと移転しました。従業員は今や17人! 和気あいあいと働いています。
「北海道、沖縄、韓国から来た社員もいます。不器用でも関係ない。雇う時、重視するのは熱意です。徒弟の世界で自分も先輩から教えてもらったから、若い子たちを育てるのは義務だと思うようになりました。将来、それぞれが自分のお店を持てるように教育しています」
「お菓子を作ってよかった!」と
思った、親子との出会い
地元とのつながりで、「ねりまベリー交流会」にも参加し、現在は会長も務める小林さん。毎年ベリーフェスティバルに、新作を出品しています。
「ねりまベリー交流会がなければ、農家の方とこんなに知り合えなかったと思います。練馬産の紫芋でスイートポテト、採れたてトマトでアイスクリームを作ったり…。可能性がどんどん広がります。これからも、練馬発の作品を作っていきたい!」
お菓子作りの話になると、言葉にいっそう熱がこもる小林さん。最後に、14年のおだふじ人生のなかで、何が印象に残っているかを尋ねました。
「拒食症の女の子の知人が、うちのお客様で。ダメ元でうちのクッキーをお見舞いに持って行ったそうなんです。そしたら、それだけは食べてくれるようになったと…。半年後、退院したその子が泣きながら挨拶に来てくれました。その時ほど、『お菓子を作ってきて良かった』と思ったことはないですね。一生忘れられない出来事です」
心をこめて作った一品が、人の心に届く…。お菓子職人冥利に尽きるお話でした。
(2013年3月1日)

おだふじ店舗外観。
大きめの駐車場もあります
(写真提供:おだふじ)

「練馬の名品21」に
選ばれた大泉クリーム
(写真提供:おだふじ)

つらかった修業時代も
笑い話に替えてしまう
明るくパワフルな小林さん

ベリーフェスティバルで
販売される
練馬産イチゴを使ったスイーツ!
第7回ベリーフェスティバルは、
3月16日(土)午前10時〜
JA東京あおばこぐれ村
(大泉学園2-12-17)にて
開催されます

おだふじから出品する
「イチゴの生チョコ」
イチゴの味が広がります!

ベリーフェスティバルでは
練馬産イチゴも販売します。
つみ立ての美味しさを
ぜひ味わってください!

西洋菓子おだふじ