特集記事 Reviews
#065 武蔵学園記念室 名誉顧問
福田 泰二さん
地域にも親しまれる
学園でありたい
練馬に桜の名所は数多くありますが、その一つが、中学校・高校・大学を併設する武蔵学園。毎年3月末に、「武蔵学園の桜を観る会」を開催し、構内を卒業生だけでなく地域の方に開放しています。
武蔵学園記念室名誉顧問の福田さん曰く、会が始まったのは1995年から。学園内を流れる濯川(すすぎがわ)沿いにソメイヨシノの並木があるほか、「ねりまの名木」に指定されたシダレザクラとイヌザクラや、様々な品種のサトザクラが咲き誇ります。この濯川は、今はポンプ式ですが、かつては千川からの分流でした。
「私が中学1年生の冬、濯川の水面が凍ったんです。すると主任の先生が、『君たち、スケート遊びしちゃいけないよ』と。思いつきもしてなかったのに、それを聞いた途端、『おもしろそう!』とみんなで乗ったら割れちゃって…。教育って難しいですねえ(笑)」
そうにこやかに笑う福田さんは、中学・高校の6年間、武蔵学園で学びました。生徒数が少なく、必然的にみんな仲よくなったそうです。
「当時は珍しいサッカーを小学生から始めて、校庭で暗くなるまでやっていました。今も毎年の同期会やOB会で、当時の仲間と会うのが楽しみなんです」
卒業後も、大学院生時代に4年間非常勤講師を務め、千葉大学教授などを経て、1997年に高中の校長として母校に舞い戻りました。同じ年に始まったのが、「母校お花見の会」。卒業生のために開かれるお花見です。
「卒業生に親しみを感じさせる母校であるべきだと思ったんです。貧乏学校なので御馳走はだせないけどね(笑)」
言葉の端々に、母校への愛がにじむ福田さん。こんな母校思いの校長先生なので、生徒たちも幸せだったでしょうね。
生まれ育った環境と、
いい師との出会いが軸になって…
「練馬区の年齢は私より若い!」と豪語する福田さんに、74年間在住している石神井の思い出を伺うと…?
「親が石神井に建てた家は、2,000円!でした。戦後しばらくの電車は今よりすごい満員で、肋骨が折れたなんて話も時々聞きましたね。小さい頃はそこら中に麦畑があって、近道だと横切っては、『コラー!』って怒られました(笑)。そこで、『麦踏みをお手伝いしました』と言うと笑って許してもらえる良き時代でしたよ」
と、次から次へと練馬の昔話が飛び出します。
「戦争中は縁故疎開で、長野県戸隠に行きました。隣組の組長が親切で、食べられるキノコから山菜の採り方まで教えてくれて。野生植物への興味は、生活に密着したものだったんです」
石神井に戻っても、当時の「玄関を出れば野原」という環境が、生物学に進んだきっかけにもなったと言います。そしてもう一つのきっかけは、武蔵中学1年のときの林間学校。指導に来られた博物学の80歳の大先生が、とても魅力的だったそうです。
「例えば『鳥の声が聴きたい者は、朝5時玄関前に集合』といって、鳴き声から鳥の名前、習性まで教えてくれて。昼間には虫、草木、雲まで、野山を歩きながら様々なことを教えてくれました。おもしろくて『集合』がかかると全部に参加し、今でも覚えているほど濃い3日間でした。この体験も、その後の人生に影響したでしょうね」
環境が人を育む…練馬もいつまでも、そんな豊かな場所であるといいですね。最後に、練馬で好きな場所は?
「昔なら石神井ハイツが建つ前の原っぱですが、今なら石神井公園ふるさと文化館や、牧野記念庭園です。小学生の頃は鬼ごっこをしていて、牧野邸にも逃げ込んだことがありましたね。子ども心に、『仙人のようなおじいちゃんがいるな~』と思っていたのが、牧野先生でした。先生にも、『時々来る悪ガキの一人』くらいには思われてたかもしれませんね?」
そうイタズラっぽく笑う福田さんの心の中には、今もなお、あの頃の練馬が豊かに息づいています。
(2012年3月1日)
学園でありたい
練馬に桜の名所は数多くありますが、その一つが、中学校・高校・大学を併設する武蔵学園。毎年3月末に、「武蔵学園の桜を観る会」を開催し、構内を卒業生だけでなく地域の方に開放しています。
武蔵学園記念室名誉顧問の福田さん曰く、会が始まったのは1995年から。学園内を流れる濯川(すすぎがわ)沿いにソメイヨシノの並木があるほか、「ねりまの名木」に指定されたシダレザクラとイヌザクラや、様々な品種のサトザクラが咲き誇ります。この濯川は、今はポンプ式ですが、かつては千川からの分流でした。
「私が中学1年生の冬、濯川の水面が凍ったんです。すると主任の先生が、『君たち、スケート遊びしちゃいけないよ』と。思いつきもしてなかったのに、それを聞いた途端、『おもしろそう!』とみんなで乗ったら割れちゃって…。教育って難しいですねえ(笑)」
そうにこやかに笑う福田さんは、中学・高校の6年間、武蔵学園で学びました。生徒数が少なく、必然的にみんな仲よくなったそうです。
「当時は珍しいサッカーを小学生から始めて、校庭で暗くなるまでやっていました。今も毎年の同期会やOB会で、当時の仲間と会うのが楽しみなんです」
卒業後も、大学院生時代に4年間非常勤講師を務め、千葉大学教授などを経て、1997年に高中の校長として母校に舞い戻りました。同じ年に始まったのが、「母校お花見の会」。卒業生のために開かれるお花見です。
「卒業生に親しみを感じさせる母校であるべきだと思ったんです。貧乏学校なので御馳走はだせないけどね(笑)」
言葉の端々に、母校への愛がにじむ福田さん。こんな母校思いの校長先生なので、生徒たちも幸せだったでしょうね。
生まれ育った環境と、
いい師との出会いが軸になって…
「練馬区の年齢は私より若い!」と豪語する福田さんに、74年間在住している石神井の思い出を伺うと…?
「親が石神井に建てた家は、2,000円!でした。戦後しばらくの電車は今よりすごい満員で、肋骨が折れたなんて話も時々聞きましたね。小さい頃はそこら中に麦畑があって、近道だと横切っては、『コラー!』って怒られました(笑)。そこで、『麦踏みをお手伝いしました』と言うと笑って許してもらえる良き時代でしたよ」
と、次から次へと練馬の昔話が飛び出します。
「戦争中は縁故疎開で、長野県戸隠に行きました。隣組の組長が親切で、食べられるキノコから山菜の採り方まで教えてくれて。野生植物への興味は、生活に密着したものだったんです」
石神井に戻っても、当時の「玄関を出れば野原」という環境が、生物学に進んだきっかけにもなったと言います。そしてもう一つのきっかけは、武蔵中学1年のときの林間学校。指導に来られた博物学の80歳の大先生が、とても魅力的だったそうです。
「例えば『鳥の声が聴きたい者は、朝5時玄関前に集合』といって、鳴き声から鳥の名前、習性まで教えてくれて。昼間には虫、草木、雲まで、野山を歩きながら様々なことを教えてくれました。おもしろくて『集合』がかかると全部に参加し、今でも覚えているほど濃い3日間でした。この体験も、その後の人生に影響したでしょうね」
環境が人を育む…練馬もいつまでも、そんな豊かな場所であるといいですね。最後に、練馬で好きな場所は?
「昔なら石神井ハイツが建つ前の原っぱですが、今なら石神井公園ふるさと文化館や、牧野記念庭園です。小学生の頃は鬼ごっこをしていて、牧野邸にも逃げ込んだことがありましたね。子ども心に、『仙人のようなおじいちゃんがいるな~』と思っていたのが、牧野先生でした。先生にも、『時々来る悪ガキの一人』くらいには思われてたかもしれませんね?」
そうイタズラっぽく笑う福田さんの心の中には、今もなお、あの頃の練馬が豊かに息づいています。
(2012年3月1日)
武蔵学園内の桜、
満開だとこんなにきれい!
(写真提供:武蔵学園広報室)
一般にも呼びかけ
「武蔵学園の桜を観る会」を開催
今年は3月27日~29日
(写真提供:武蔵学園広報室)
「武蔵学園の桜を観る会」の
情報が「お花見散歩まっぷ」にも
掲載されています。
3月19日より配布開始
2011年秋にリニューアルした
武蔵学園記念室が入っている
大講堂の外観。
学生以外でも無料で入場できる
武蔵学園の創設者・
根津嘉一郎の銅像。
東武鉄道を大会社に
発展させるなど、
様々な事業に携わった偉人!
武蔵学園全景の模型。
土地の形に変遷はあるものの、
面積自体は90年前の
創立当時のまま
武蔵学園記念室の中。
旧制高校から続く歴史を
垣間みることができる
学園の門の脇で遠慮がちに
銀杏を拾うご近所さんを見ると、
「あっちの方がもっと
拾いやすいですよ」
と声をかけてしまう福田さん。
人柄の良さが伺えます
「ねりまのねり歩き」でも
武蔵学園の構内がコースに
入っています。
写真は2009年3月、
濯川を見学している様子