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#045 「曼荼羅美術館」館長
小峰 和子さん

お金も名誉も要らない…
染川画伯から学んだ人柄

 じめじめした天気が続くこの季節。でも美術館なら雨に濡れる心配もなし! というわけで観蔵院の境内に2002年に開館した「曼荼羅美術館」の小峰和子館長にご登場いただきました。

 現代仏画の第一人者・染川英輔画伯によって描かれた230cm×210cm の2枚の曼荼羅。曼荼羅美術館は、この壮麗な曼荼羅を収蔵するために作られました。


 「観蔵院の本堂を作るにあたり、真言宗は曼荼羅を置く決まりがあって、きちんとしたものを探していました。そこで画伯が描かれた一枚のカレンダーが縁となり、染川画伯を知り、住職がお願いしたんです。本当は3年で完成する予定だったんですが、住職を含めて4人の学者が古典中国語で書かれた経典をひも解き、画伯がそれに則り裸の仏様を方眼紙に描き、衣帯や持物・印相などを正確に描いたので、18年もかかってしまいました」

 こうして出来上がった曼荼羅は、オーラを感じて号泣する人が出る程、すばらしい作品となりました。そんな染川画伯との出会いは、館長の人生をも変えたそうです。


 「若い頃(中学・高校時代)家族を養うために絵を売って暮らしていた画伯は、苦労をご存知だけあり、名声やお金のことはまったく考えない方なんです。今も仏画教室では『学生とお年寄りからはお代をいただかない』と。私たちはそんなお人柄を通して、画伯の人生観をも学びました」

 それまで絵画とは無縁だった館長は、画伯に師事し、弟子の一人として曼荼羅制作の一部にも参加しました。

 「仏画を始めたときは、子どもたち(3人)がまだ小さかったのであまり気が乗りませんでした。きっかけは、観蔵院仏画教室の生徒さんでした。若くして子どもを亡くされたお母さんが『何をしていても心が休まらなかったけど、仏画を描いている間だけは落ち着く。子どもに会っているような気がする』と仰って。そういう方がたくさんいて、仏画をする意味が見つかったんです。何かをするのに自分のためだけでなく、少しでも誰かに喜んでもらえたら、それが何倍もの喜びに変わるんだと言う事に気が付いたんです。そして、いつも何かと観蔵院を支えて下さる大勢の人たちへの感謝の気持ちも以前にも増すようになりました。本当にお陰さまなのです」



出会いが出会いを生む
不思議な人の縁


 それ以来すっかり絵の道にはまり、今は風景画に興味があるという館長。その思いがまた、別の縁を呼びました。


 「風景画のスケッチと、河口彗海(*)の足跡を訪ねる目的で、約10 年前にネパールに行きました。そこで偶然、ガイドブック『地球の歩き方』のカメラマンと知り合い、ロク・チトラカールさんを紹介してもらったんです。チトラカールさんは世界的に有名なネパールの絵師なのですが、初めて曼荼羅を描くのに参考にしたのが、染川英輔画伯作の観蔵院曼荼羅の本だったんです。それがご縁で、現在この美術館にはチトラカールさんの絵が多数収蔵してあります。人の縁って、本当に不思議ですね」

 ネパールに深い縁のある館長は、今ではNGOのボランティア活動として、山深い農村まで行かれるとのこと。美術館には、ネパールの女性が祭礼のために描く「ミティラー民俗画」も飾られています。

 「はじめてネパールに行った時、人生観が変わったんです。ものすごく貧しい人々、病院もくすりもない世界。なのに、子どもたちの眼はきらきらと輝いていてとても幸せそう。死は、いつも隣り合わせでしかも自然と溶け込んでいるんです。そこで、自殺する人はほとんどいないと言う事を知り、人の心の持ちようについて教えられた気がしたんです」

 「支援学校では、私が動くとゾロゾロついてくるんですよ(笑)。そこは、車で5時間行った後さらに急な山を登らないと着けない場所なんですが、そこに行くためにも日々鍛えておかなくちゃと思って、東京では高尾山によく登っています」

 「曼荼羅を世界に広めることが、私の夢の一つです。EU の事業では映画監督とも知り合えたので、今は映画作りも目標です! この美術館も、作りたいという夢があったから、かなえることができた。夢は持たなきゃ始まりませんからね。私、大風呂敷を広げるのは得意なんです(笑)」


 館長の夢が詰まった曼荼羅美術館で、世界にも渡った曼荼羅を観て、みなさんも何かを感じてみませんか?

*河口彗海
約100 年前、日本人で初めてチベット入りした修行僧で探検家。


 

(2010年6月1日更新)


観蔵院両部曼荼羅。
向かって左が「金剛界曼荼羅」、右が「胎蔵曼荼羅」といい、各々表現するものが異なる
(館長写真提供)


曼荼羅美術館ができるまでを表した天井画
(館長写真提供)


館内に置かれた虫眼鏡で拡大するとすべて表情が違い、細かい所まで描きこまれているのがわかる
(館長写真提供)


留学生には今でも「お母さん」と親しまれて、世界各地に“子どもたち”がいる
(館長写真提供)


2008年9月、インド領タワン国へ国賓として日本人初訪問
孤児院にて(館長写真提供)


ネパールのラディン郡・ライカル村にてNGO活動の様子。
この村の小学校を支援しています
(館長写真提供)


ライカル村には館長への感謝の表れか、「カズコ・コミュニティハウス」という名の建物がある
(館長写真提供)


曼荼羅をはじめ、梵字の一種「悉曇」など雑誌で多数取り上げられている


右はご主人の小峰彌彦氏。
お話を伺う間も、声明(しょうみょう)が館内に響き渡り、厳かな雰囲気だった


>2005年の日本・EU市民交流年記念事業(外務省・文化庁後援)では、観蔵院曼荼羅のピエゾグラフを持ってヨーロッパを回りました
(館長写真提供)

プロフィール

小峰 和子さん

小峰 和子さん

1943年埼玉県生まれ。実家が寺院で、小峰彌彦氏(観蔵院住職/前大正大学学長)と結婚し、練馬へ移り住む。1981年、染川英輔画伯に師事、仏画を学ぶ。館長を務めつつ、オープンカレッジなどで仏画の講師もしている。睡眠時間は、なんと平均4時間! それでも「仕事ができるって幸せ。楽しいと思えばストレスにならない」と、常に笑顔を心がけている。練馬区で好きな場所は、石神井公園三宝寺池。
曼荼羅美術館ホームページ

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