特集記事 Reviews
#028 「散歩の達人」編集長
山口 昌彦さん
散歩の極意とは…
人も町も愛!です
2008年秋から始まった「練馬区まち歩き観光ガイド養成講座」は、シニア世代を中心として熱心な受講者を集めています。ガイドコース発表会では、『散歩の達人』編集長の山口昌彦さんをゲスト講師に迎え、「練馬のねり歩き」をより豊かにするコツを教えていただきました。
「仕事がら散歩の達人と思われがちですが、もちろんすべてを知っているわけじゃない。ガイドさんだって初めからすべてを知っている人はいないですよね。住む人が楽しんで町も育つ、わが町を調べていくうちに愛着が生まれていく。クサイかもしれないけれど、人も町も、結局は愛なんですね」
愛! をいきなり語る山口さん、さすがに説得力があります。
「ガイドというと、どうしても知識を語るウンチクに偏りがちなんですが…。余裕を持って、仕込みすぎない。それ位でちょうどいいと思いますよ」
なるほど、なるほど。
「この辺りは同じ名字の家が多いとか、この土地は以前○○屋さんだったとか、長く住んでる人しか知らないような小ネタをたくさん持つ。そんな地元ネタがおもしろいんじゃないかな!?」
そっか、私もガイドができそうな気分になってきました。
「あとは、ネタを持って帰ろうっていう好奇心の視線と、このキリクチはオレだな!っていう得意分野を持つこと。雑誌の仕事でライターさんの視線がおもしろいと一緒にいて楽しいし、刺激されます」
点と点の情報だけでなく、そこにどんなストーリーを盛り込むか。ガイドさんの立場でも雑誌作りでも、これは共通する、と山口さんは言います。
転勤はイヤ!から…
『散歩の達人』編集長まで
山口さんは世田谷区に生まれ、品川区で育った生粋の東京っ子。高校時代から家庭の都合で、早くも一人暮らしをしていたそうです。さぞ自由で気ままで楽しいかと思えば、
「いやぁ、淋しかったですよ~。夜に高校生が定食屋に通っているとなれば、ちょっと変わってますよね。それで店のおじちゃんが気にして、声をかけてくれたり。こんな風に、私は店や町に守られてきたんです」
東京=home!とまで言う山口さんの進路の決め手は、「出版社なら転勤がないから」(笑)。旅行誌関連の出版社に入社後、「いわゆるデートスポットなどの紹介ではなく『お一人さまでも楽しめる東京』の雑誌があってもいい」と、抱負を語りました。その意気込みを初代編集長に買われ、東京周辺を奔走する日々が続き…、そうして1996年4月に「散歩の達人」創刊号発刊と、相成りました。
以来、本誌は「さんたつ」と愛称で呼ばれ、根強いファンを獲得し続けています。そして当時の新入社員は、10年後に編集長となりました! 山口さんは、この道一筋の散歩の「職人」だったんですね〜。
こうして練馬に
流れ着きました(笑)
2001年にご結婚、いきなりお嫁さんと4頭の愛犬という大所帯に。なじんだ世田谷近辺が希望でしたが、家賃との折り合いがつかず。環状七号線をどんどん北上し、探し求めていた理想の物件と練馬区小竹町で出会います。
「縁側と庭のある渋い日本家屋! すぐさま決めました。梅や金木犀の木があって、春や秋には香りが漂っていました。縁側に七輪を出して秋刀魚を焼いたりしてね。とても好きで、私はいつも縁側にいました」
拠点を江古田に決めたもう一つの理由は、商店街に活気があること。孤独な青春時代に商店街の大人たちから、安らぎや活力を受けていた山口さんならではの視点です。お子さんが生まれてから、ますますこの町とも仲良しに。江古田ゆうゆうロードのナイトバザールや、としまえんはご家族でよく行く場所だとか。
「としまえんの園内に川が流れているのをご存知ですか? 単なるテーマパークというより、元は城跡だったという歴史にも目を向けたら楽しみが深くなりました」。
おススメの店をたずねると、江古田駅北口にある「トリスカフェ」と中華料理店の「虎坊」、練馬駅近くの蕎麦屋「176」の3軒を教えてくれました。いずれも店主の人柄や思いあふれる店造りが魅力とのこと。
「東京の良さは、毎日をただ繰り返すだけに見えても実はそうでなく、いろんなことを後から思いだせる材料がたくさんあること。それは子どもにとっても同じで、決してルーチンな毎日ではない。せっかくこの練馬で生まれ育つなら『自分だけの』と言える感覚と体験を重ねてもらいたい」
やっぱり山口さんは最後まで「人と町への愛!」を語るのでした。
人も町も愛!です
2008年秋から始まった「練馬区まち歩き観光ガイド養成講座」は、シニア世代を中心として熱心な受講者を集めています。ガイドコース発表会では、『散歩の達人』編集長の山口昌彦さんをゲスト講師に迎え、「練馬のねり歩き」をより豊かにするコツを教えていただきました。
「仕事がら散歩の達人と思われがちですが、もちろんすべてを知っているわけじゃない。ガイドさんだって初めからすべてを知っている人はいないですよね。住む人が楽しんで町も育つ、わが町を調べていくうちに愛着が生まれていく。クサイかもしれないけれど、人も町も、結局は愛なんですね」
愛! をいきなり語る山口さん、さすがに説得力があります。
「ガイドというと、どうしても知識を語るウンチクに偏りがちなんですが…。余裕を持って、仕込みすぎない。それ位でちょうどいいと思いますよ」
なるほど、なるほど。
「この辺りは同じ名字の家が多いとか、この土地は以前○○屋さんだったとか、長く住んでる人しか知らないような小ネタをたくさん持つ。そんな地元ネタがおもしろいんじゃないかな!?」
そっか、私もガイドができそうな気分になってきました。
「あとは、ネタを持って帰ろうっていう好奇心の視線と、このキリクチはオレだな!っていう得意分野を持つこと。雑誌の仕事でライターさんの視線がおもしろいと一緒にいて楽しいし、刺激されます」
点と点の情報だけでなく、そこにどんなストーリーを盛り込むか。ガイドさんの立場でも雑誌作りでも、これは共通する、と山口さんは言います。
転勤はイヤ!から…
『散歩の達人』編集長まで
山口さんは世田谷区に生まれ、品川区で育った生粋の東京っ子。高校時代から家庭の都合で、早くも一人暮らしをしていたそうです。さぞ自由で気ままで楽しいかと思えば、
「いやぁ、淋しかったですよ~。夜に高校生が定食屋に通っているとなれば、ちょっと変わってますよね。それで店のおじちゃんが気にして、声をかけてくれたり。こんな風に、私は店や町に守られてきたんです」
東京=home!とまで言う山口さんの進路の決め手は、「出版社なら転勤がないから」(笑)。旅行誌関連の出版社に入社後、「いわゆるデートスポットなどの紹介ではなく『お一人さまでも楽しめる東京』の雑誌があってもいい」と、抱負を語りました。その意気込みを初代編集長に買われ、東京周辺を奔走する日々が続き…、そうして1996年4月に「散歩の達人」創刊号発刊と、相成りました。
以来、本誌は「さんたつ」と愛称で呼ばれ、根強いファンを獲得し続けています。そして当時の新入社員は、10年後に編集長となりました! 山口さんは、この道一筋の散歩の「職人」だったんですね〜。
こうして練馬に
流れ着きました(笑)
2001年にご結婚、いきなりお嫁さんと4頭の愛犬という大所帯に。なじんだ世田谷近辺が希望でしたが、家賃との折り合いがつかず。環状七号線をどんどん北上し、探し求めていた理想の物件と練馬区小竹町で出会います。
「縁側と庭のある渋い日本家屋! すぐさま決めました。梅や金木犀の木があって、春や秋には香りが漂っていました。縁側に七輪を出して秋刀魚を焼いたりしてね。とても好きで、私はいつも縁側にいました」
拠点を江古田に決めたもう一つの理由は、商店街に活気があること。孤独な青春時代に商店街の大人たちから、安らぎや活力を受けていた山口さんならではの視点です。お子さんが生まれてから、ますますこの町とも仲良しに。江古田ゆうゆうロードのナイトバザールや、としまえんはご家族でよく行く場所だとか。
「としまえんの園内に川が流れているのをご存知ですか? 単なるテーマパークというより、元は城跡だったという歴史にも目を向けたら楽しみが深くなりました」。
おススメの店をたずねると、江古田駅北口にある「トリスカフェ」と中華料理店の「虎坊」、練馬駅近くの蕎麦屋「176」の3軒を教えてくれました。いずれも店主の人柄や思いあふれる店造りが魅力とのこと。
「東京の良さは、毎日をただ繰り返すだけに見えても実はそうでなく、いろんなことを後から思いだせる材料がたくさんあること。それは子どもにとっても同じで、決してルーチンな毎日ではない。せっかくこの練馬で生まれ育つなら『自分だけの』と言える感覚と体験を重ねてもらいたい」
やっぱり山口さんは最後まで「人と町への愛!」を語るのでした。
(2009年1月5日更新)
最新号の2009年1月号。
写真にも文章にも、
全体から「愛!」を感じます。
「練馬区まち歩き観光ガイド
養成講座」の風景
散歩を豊かにするコツ!を伝授。
山口さんはジェスチャーも大きく、
歯切れよく、相手の目を見て話すので、周囲も明るい雰囲気に!
「散歩の達人」創刊号
(1996年4月号)。
当時はB5判でした。
山口さんの編集後記
「高校生の時のデートで、ひたすら
長距離を歩いていたらフラれた!」
なんてエピソードが(笑)。
お子さまとよく出かける
「江古田ナイトバザール」
奇数月の第4土曜日に開催され、
スタンプラリー、産地直送物産市、
やきそば、綿あめ、射的などの
出店が恒例です。
2004年3月号では、
練馬界隈が取り上げられました。
「またいつか、特集してください!」
この場をお借りして、
お願いしておきます(笑)