特集記事 Reviews
#027 本立寺第40世住職
北見 周文さん
「関のボロ市」は歴史がつくった
「手づくり市」!
12月9日・10日の2日間、関町の本立寺では恒例「関のボロ市」が開催されます。いまや都内有数の市として知られるこのボロ市、もとは日蓮宗「法耀山 本立寺」で日蓮聖人の命日をしのび、お会式(おえしき)の法要に合わせて市が立つようになりました。最初の市は、なんと江戸時代中期の宝暦年間(1730年代)なので、約270年以上も続いています!1990年には練馬区無形民俗文化財に登録されました。
本立寺第40世ご住職の北見周文さんにお話を伺ってきました。
「初日9日の夜には、万灯行列が武蔵関駅南口商店街から本立寺の境内まで約1kmを練り歩くんですよ。長い傘に花飾りと電飾がついた花万灯が約30台、そして纏(まとい)を中心に鐘や太鼓を持ったはっぴ姿の人たちが見物客の目を楽しませてくれます。昔は、花万灯にろうそくを灯していたから暗かったけど、今は電飾できれいです。夜の7時過ぎからがお山が音と光でいっぱいになります」
60年にわたりボロ市を見ているご住職、昔の様子はいかがだったのでしょうか。
「終戦後は万灯行列の人々にお弁当や、炊き出しを配りました。檀信徒の方々と1週間前から餅をついて縦半分の竹の筒に詰めてかまぼこ型にし、赤色と黄色に塗ってお供物を出したり。物がなく、お米を手に入れるのが大変な時代だったのに、父はどうやりくりしたのかわかりませんが、続けていましたね。『どうか召し上がってください』という気持ちが大いにあった時代です。商店街の店頭でもお酒がふんだんに振舞われるので、万灯行列の人は酔っ払っちゃって最後まで歩けないこともあったようです(笑)」
戦後で物資の足りない時代だからこそ、分け与えあう大切さを人々は知っていたのですね。
「戦前は市が立つと、子どもたちは勉強どころじゃない、みんな学校に行かないんだから(笑)。それで2日間だけは自然休校になりました」
大人も子どもも町中が盛り上がったボロ市は、遊び心やあたたかさに満ち、延々と続いてきたんですね。
仏教を一蹴、宗教を一周!?
見事なまでにつるりとまん丸の頭をなでながら「この頭は、私を坊さんにしたかった父と母曰く、ゼッペキにしちゃいけないからと横に寝かせず、数人の女の人が代わる代わる抱っこして作り上げた芸術作品」だそうです。
僧になるべく生を受けたご住職、なんと誕生日はお釈迦様と同じ4月8日、お山が花祭で賑わっている最中。今では「因縁だよ」と笑えても、子ども時代は一般の家庭と違い辛いことも多かったようです。
「5歳から暗くて冷たい本堂に座り、お経を読んでいました。読み過ぎたせいで、鶯のような美しい声がつぶれたんですよ(笑)」と、ハスキーボイスで話す様子は明るく、まるで噺家さんのよう。遊び心…住職ご本人もその心を大切にされているようで、厳かでもの静かといった「僧侶のイメージ」を大胆にも吹き飛ばしてくださいます。
小学生の夏休み、友だちが盆踊りに興じている間、うらやましいと思いつつ読経の修業…。「絶対に坊さんになりたくない!」の一心で近くの教会の日曜学校に通うも、その熱心さに洗礼を勧められたという珍エピソードも(笑)。高校卒業後、自衛隊に入隊し2年間を経て、大学生になって始めたアルバイトの経験が人生の大きな転機となったそうです。
「手足の不自由な子の送迎を1年半続けました。身体が不自由でも頭はしっかりしているので、中には運転手に向かって生意気を言う子もいます。だからアルバイト学生はみんな辞めてしまうのですが、私は子どもの頃から『汗をかかずにお金をもらうことはできない』と教えられていました」
進学した大学では、やはりお坊さんになりたくない一心で神道を専攻し(笑)、望みどおり僧への道を回避してサラリーマンに。アルバイトでの教訓を生かし、「人の寝ている間に努力を重ねること、汗をかいて一生懸命営業して歩くことが、今の私に与えられた仕事」という信念で、スピード出世を果たしました。家庭も築き、すべてが順風満帆…。
しかし、昭和55年に病気を患って亡くなったお兄様の後に続き、住職に就く覚悟を決めたそうです。
宗教に隔てなし!
わが町・本立寺の役割
「当時は役員になっていましたから、会社にも、もちろん妻にも反対されました」
でもこの生活が、「終戦後に必死で両親が守ってきた寺に背を向けてまで続ける価値のあるものか? よくよく考え、まったくの他人にお任せするなら自分が守ろうと決心した」そうです。そして、住職になってから膨大な費用をかけて総檜造りに改築したのが10年前。
「人を許す心を持つこと」「自分に正直に生きること」「命を大事にすること」これは、ご住職が一生をかけて伝えていきたいことだと言います。
「宗教とは本来、人が何かに救いを求めたときにつかまるもの。お参りに来た人が、心に抱えた重いものを下ろしていくのがお寺。そうして『また明日から元気を出して頑張ろう』と思ってくれたらありがたいです。ボロ市もそう。子どもにお小遣いをあげるお父さんなんて、いちばんお父さんらしいよね。子どもは何を買おうかと生き生きしている。お店も地元のPTAが協力し合って作っている。人がこうして集まって作り上げた市で、大人だって2日間くらいバカになったっていいじゃない」
今年のボロ市は、なんと727回目の法要です! 330店近くもの露店が見込まれる市で、ご家族みんなが楽しい思いを共有できたらいいですね!
「手づくり市」!
12月9日・10日の2日間、関町の本立寺では恒例「関のボロ市」が開催されます。いまや都内有数の市として知られるこのボロ市、もとは日蓮宗「法耀山 本立寺」で日蓮聖人の命日をしのび、お会式(おえしき)の法要に合わせて市が立つようになりました。最初の市は、なんと江戸時代中期の宝暦年間(1730年代)なので、約270年以上も続いています!1990年には練馬区無形民俗文化財に登録されました。
本立寺第40世ご住職の北見周文さんにお話を伺ってきました。
「初日9日の夜には、万灯行列が武蔵関駅南口商店街から本立寺の境内まで約1kmを練り歩くんですよ。長い傘に花飾りと電飾がついた花万灯が約30台、そして纏(まとい)を中心に鐘や太鼓を持ったはっぴ姿の人たちが見物客の目を楽しませてくれます。昔は、花万灯にろうそくを灯していたから暗かったけど、今は電飾できれいです。夜の7時過ぎからがお山が音と光でいっぱいになります」
60年にわたりボロ市を見ているご住職、昔の様子はいかがだったのでしょうか。
「終戦後は万灯行列の人々にお弁当や、炊き出しを配りました。檀信徒の方々と1週間前から餅をついて縦半分の竹の筒に詰めてかまぼこ型にし、赤色と黄色に塗ってお供物を出したり。物がなく、お米を手に入れるのが大変な時代だったのに、父はどうやりくりしたのかわかりませんが、続けていましたね。『どうか召し上がってください』という気持ちが大いにあった時代です。商店街の店頭でもお酒がふんだんに振舞われるので、万灯行列の人は酔っ払っちゃって最後まで歩けないこともあったようです(笑)」
戦後で物資の足りない時代だからこそ、分け与えあう大切さを人々は知っていたのですね。
「戦前は市が立つと、子どもたちは勉強どころじゃない、みんな学校に行かないんだから(笑)。それで2日間だけは自然休校になりました」
大人も子どもも町中が盛り上がったボロ市は、遊び心やあたたかさに満ち、延々と続いてきたんですね。
仏教を一蹴、宗教を一周!?
見事なまでにつるりとまん丸の頭をなでながら「この頭は、私を坊さんにしたかった父と母曰く、ゼッペキにしちゃいけないからと横に寝かせず、数人の女の人が代わる代わる抱っこして作り上げた芸術作品」だそうです。
僧になるべく生を受けたご住職、なんと誕生日はお釈迦様と同じ4月8日、お山が花祭で賑わっている最中。今では「因縁だよ」と笑えても、子ども時代は一般の家庭と違い辛いことも多かったようです。
「5歳から暗くて冷たい本堂に座り、お経を読んでいました。読み過ぎたせいで、鶯のような美しい声がつぶれたんですよ(笑)」と、ハスキーボイスで話す様子は明るく、まるで噺家さんのよう。遊び心…住職ご本人もその心を大切にされているようで、厳かでもの静かといった「僧侶のイメージ」を大胆にも吹き飛ばしてくださいます。
小学生の夏休み、友だちが盆踊りに興じている間、うらやましいと思いつつ読経の修業…。「絶対に坊さんになりたくない!」の一心で近くの教会の日曜学校に通うも、その熱心さに洗礼を勧められたという珍エピソードも(笑)。高校卒業後、自衛隊に入隊し2年間を経て、大学生になって始めたアルバイトの経験が人生の大きな転機となったそうです。
「手足の不自由な子の送迎を1年半続けました。身体が不自由でも頭はしっかりしているので、中には運転手に向かって生意気を言う子もいます。だからアルバイト学生はみんな辞めてしまうのですが、私は子どもの頃から『汗をかかずにお金をもらうことはできない』と教えられていました」
進学した大学では、やはりお坊さんになりたくない一心で神道を専攻し(笑)、望みどおり僧への道を回避してサラリーマンに。アルバイトでの教訓を生かし、「人の寝ている間に努力を重ねること、汗をかいて一生懸命営業して歩くことが、今の私に与えられた仕事」という信念で、スピード出世を果たしました。家庭も築き、すべてが順風満帆…。
しかし、昭和55年に病気を患って亡くなったお兄様の後に続き、住職に就く覚悟を決めたそうです。
宗教に隔てなし!
わが町・本立寺の役割
「当時は役員になっていましたから、会社にも、もちろん妻にも反対されました」
でもこの生活が、「終戦後に必死で両親が守ってきた寺に背を向けてまで続ける価値のあるものか? よくよく考え、まったくの他人にお任せするなら自分が守ろうと決心した」そうです。そして、住職になってから膨大な費用をかけて総檜造りに改築したのが10年前。
「人を許す心を持つこと」「自分に正直に生きること」「命を大事にすること」これは、ご住職が一生をかけて伝えていきたいことだと言います。
「宗教とは本来、人が何かに救いを求めたときにつかまるもの。お参りに来た人が、心に抱えた重いものを下ろしていくのがお寺。そうして『また明日から元気を出して頑張ろう』と思ってくれたらありがたいです。ボロ市もそう。子どもにお小遣いをあげるお父さんなんて、いちばんお父さんらしいよね。子どもは何を買おうかと生き生きしている。お店も地元のPTAが協力し合って作っている。人がこうして集まって作り上げた市で、大人だって2日間くらいバカになったっていいじゃない」
今年のボロ市は、なんと727回目の法要です! 330店近くもの露店が見込まれる市で、ご家族みんなが楽しい思いを共有できたらいいですね!
(2008年12月1日更新)
境内の入口
墨絵のほっこりした
告知ポスター。かわいいです!
花万灯が優雅に揺れて、
市を盛り上げます。
法被姿のお兄さんが纏を回し、
いなせだね!
江戸時代から戦前までの市は、
衣類や農機具、ザルやおけなどの
生活用品、正月用品などを
売り買いする場でした。
今年のボロ市も
たくさんの露店が出ますよ。
本堂手前にたたずむ
お掃除小坊主さん。
真剣な顔、
ちょっぴりおどけた顔など、
たくさんの表情を見せてくれました。
とても人間的なご住職です!
プロフィール
北見 周文さん
昭和12年、本立寺の後継ぎとして誕生。会社員を経て、昭和55年より、350年の歴史を刻む本立寺第40世住職となる。持ち前のチャレンジ精神を発揮し、66歳で大型トレーラー、68歳で一級船舶の操縦資格を取得。好きな場所は、子ども時代の夢が詰まった武蔵関公園。