特集記事 Reviews

#023 「安曇野ちひろ美術館」館長
松本猛(まつもとたけし)さん

ちひろ美術館のはじまりは
呼び鈴とスリッパで


 水彩の淡い色調で、観察よりも抱擁で、子どもたちの表情と感触も描ききった絵本画家いわさきちひろさん。ちひろさん亡き後、「絵をいつでも見に来られるように」と自宅兼アトリエを改造して設立されたのが練馬区下石神井にあるちひろ美術館です。今回はちひろさんの絵にしばしば登場した一人息子であり、安曇野ちひろ美術館館長である松本猛さんにお話を聞きました。
 
 「母が亡くなった後、絵を観たいと言ってくださる方が多かったので銀座の画廊で遺作展を開きました。それが予想もしない反響を呼びまして。それならば、自宅の半分を美術館にして絵を観ていただこうと考えたのが、設立のきっかけです」

 ちひろ美術館は1977年にオープン。当初は運営が軌道にのるか心配だったと松本さんは言います。
 「自宅を兼ねた美術館ですから、気軽に家に遊びに来ていただく感覚にしたかった。だから呼び鈴をチンチンと鳴らしてもらい、スリッパで入っていただくというスタイル(笑)。珍しかったせいかマスコミにもたくさん取り上げられ、お客さまも増えていきました」

 その後、増築を繰り返し迷路のようになった美術館は味わいもありましたが、耐震強度やバリアフリー対応のため6年前に建て替えられました。
 「どの床材を見てもピンとこなかったのですが、アメリカのウイスキー工場の廃材を見たときにこれだ! 思いました。すべて新しくしてしまうのではなく、人の歴史の積み重ねの上にあるものを使いたかったんです」

 松本さんのこだわりが息づいたちひろ美術館。ちひろさんの絵とぬくもりのある空間として30周年を超えた今でも、幅広い世代の人に愛され続けています。



母ちひろ、画家ちひろ、
たくさんのことを教えてもらった


 画家としてあまりに有名なちひろさん、普段はどんなお母さんだったのでしょう?
 「とても甘い母親でしたよ(笑)。たたかれたことも、大声で叱られた記憶もないですね。母がアトリエにいるときは、私の遊び場もアトリエでした。モデルになるよう言われたことはないですが、気づけば母はいつもスケッチブックを持って私を描いていましたね」

 そんなちひろさんの影響を受けて育った松本さんが、芸術の道を志したのはごく自然のことでした。
 「高校時代に、かなり力作のポスターを描きました。張り切って母に見せると、『二流の画家にはなれるかもしれないわね』とバサリ。もう絶対に画家になるまいと思いましたね(笑)。でも母から教わることは多かった。映画や演劇に興味をもち始めた私が、観てきた映画の話を得意げにすると、『あのシーンはこうだった』などと実によく知っているのです。母ながらこの人はおもしろい!と、たくさん話したり出かけるようになりました。10代後半って普通なら親と離れていく年なのに…」

 松本さんが、ちひろさんに初めて仕事をもちかけられたのは大学3年生の頃。
 「ベトナム戦争を背景にした『戦火のなかの子どもたち』という絵本の構成と文章を考えてみなさいと。一人前として扱われたような気がしてうれしかったですね。しかし必死で考えて出した案から実際の形になるまでに半年以上かかりました。校正刷りが出てからも描きなおしたり、母の仕事に対する厳しさを知る貴重な経験でした」
 この初めての親子共同作品が、ちひろさんの遺作となってしまいました。

 ちひろさんの絵の魅力については、
「単なる観察でないところから生まれた絵だと思います。『赤ちゃんがおっぱいを吸う力』『10か月の子どもと1才の子どもを描きわける』などという感覚は、子どもを抱っこして育てた人にしかわからない。自分のような絵を男の人は描けない、という自負が母にはあったと思います」



いくつになっても「戻れる場所」を

 お気に入りの場所をたずねると、石神井公園の三宝寺池という答えが。
 「子どもの頃は、セルビンとか四ツ網とかいう道具を使って池のハヤ、クチボソ、タナゴなどを捕ったりしてました。ずっと遊び場で、高校時代はデートスポットとしても行きました」
 家の近所を散歩すれば、畑ばかりだったので富士山や秩父連山が望めたそうです。

 「お子さん連れのお母さんが『また来ちゃったわ』と言いつつ美術館に通ってくださるのはうれしいこと。何度も来るのは、その人にとって『自分の場所』だからです。いずれ子どもにとっても大切な場所となってくる。子ども時代に文化と出会うことは、いろんな価値観を知るチャンス。美術館で楽しい経験をした子どもは、大人になって必ず戻ってきますよ」
 地域の人の「戻れる場所」になりたいと願う松本さんの言葉には、ちひろさんの絵と同じように人への優しさが満ちていました。

(2008年8月1日更新)


赤い胸あてズボンの少女 1971
「ちひろと世界の絵本画家たち
―技法のひみつ―」
9月28日まで展示中。


新青梅街道から路地を入り、
住宅街の中に
「ちひろ美術館・東京」はあります。
(撮影:中川敦玲)


カフェで飲み物や
軽食が楽しめます。
(撮影:中川敦玲)


展示室1。館内には3つの展示室と
多目的展示ホール、図書室、
こどものへや、
ミュージアムショップがあります。


2007年1月の
リック・カール(アメリカ)
「おんどり」 1985年
ちひろ美術館では、いわさきちひろの
作品の他に、世界29カ国175人の
画家による約16600点の作品も
収蔵しています。


ちひろさんと少年時代の
松本猛さん。
自宅アトリエにて。



2008年8月から9月7日までの
毎週日曜日に、こどもワークショップが開催されます。本や人形を作ったり、みんなでダンスしたり…。参加希望の方はご予約ください(先着順)。
03-3995-0612


緑の幻想 1972年


9,500点以上もの作品を描き出し、
55才の時にガンで亡くなった
ちひろさん。
「まだ若かった。もっと絵を
描きたかっただろうな」
とつぶやいた松本さんの言葉が
印象的でした。

プロフィール

松本猛(まつもとたけし)さん

松本猛(まつもとたけし)さん

1951年生まれ。東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。1才の時より練馬区下石神井で育つ。1977年に世界初の絵本専門美術館となる「ちひろ美術館・東京」を設立。1997年「安曇野ちひろ美術館」を設立、館長に就任。現在は長野県北安曇郡在住。

ねりま人一覧