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#017 背景画師
中島 盛夫さん

はしごが怖くちゃ、
背景画は描けないよ


 今なお人々に愛され続けている銭湯ですが、その数が減るとともに背景画(ペンキ絵)の職人さんも減少の一途をたどり、現在日本に3人だけ!しかも3人とも東京在住。今回は背景画師の一人、中島盛夫さんの仕事現場をたずねました。今日の仕事場は、板橋区常盤台にある銭湯「岩の湯」さんです。


 てきぱきと足場を組み、朝9時過ぎに制作スタート! 助手を務めるのは、ただ一人のお弟子さんであり、現役大学院生の田中みずきさんです。
 ご自身の身長よりも高いはしごを、ひょいと上って壁に取りつく中島さん。まるでロッククライマーが垂直の岩壁に張り付いているような格好です。怖くないんですか~?!
「はしごが怖くなったら、この仕事は終わりだね」
スパッと即答でした!



広く・明るく・富士は一つ!
背景画の三大セオリー


 空や山の稜線などアウトラインは大胆なローラー使い、松の枝には繊細な筆使い、雲の柔らかな質感と奥行きを出すにはタオルにペンキをしみ込ませてスタンプ式に...と、自由自在に道具を使いこなす中島さん。そして一面の水色ベタ塗りの壁には、みるみるうちに絶景が現れ...。昼12時過ぎには男湯の赤富士、堂々完成!! 富士山に朝日の赤が映え、ダイナミックな作品です。

 銭湯の背景画にはそれなりのセオリーがあると中島さん。
「浴場をいかに広く、明るく見せるかが大事。広いところはより広く、狭いところは川などで奥行きを出すんだ。そうすれば、露天風呂に入ったみたいにのびのびした気分になるでしょ」
 また、男湯と女湯では同じ絵を描かないのもルール。
「だって、富士山が2つあったらおかしいもの。だから男湯で富士山を描いたら、女湯では水辺などのおだやかな風景にするなどのメリハリが必要。それでいて、全体では1枚の絵になるような構図の工夫をしないとね」

 ここまで熟練するのに、どれくらいかかるのですか? 
「10年もあれば、たいてい描けるようになるよ。でも、空を一人前に塗れるようになるのに3年かかるかな」
長い道のりですね~。田中さん、頑張って(笑)!



人に恵まれた修業時代、
頼まれれば壁画も描く


 もとは、墨田区向島でゴム製部品の製造工場で働いていた中島さん。故郷の福島県から上京して間もなく、偶然に入った銭湯が、背景画の世界に踏み込むきっかけとなりました。

「忘れもしない昭和39年、東京オリンピックのあった年だよ。福島には銭湯なんてなかったから、壁に富士山! びっくりしちゃってね。自分も描きたい! と飛び込んだの」師匠は故・丸山喜久男氏。現役で活躍するもう一人の背景画師、丸山清人氏の叔父にあたる人です。
「人には恵まれたね。もともと絵を描くのは好きだったし、いやだと思ったことは一度もないよ」

 最近では、地元・練馬区北町浴場で行われた、オダギリジョーと樹木希林主演映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』公開記念イベントで、浴場の壁に東京タワーを描いたそうです。
「お風呂に限らず、頼まれれば壁画でも何でも描くし、どこへでも行くよ」と言った次の瞬間、「ホラ、逆富士!」と、番台の上の窓ガラスに映った完成ホヤホヤの赤富士を指差す中島さん。
「自然光が入っているときがいいんだよね~」
ご自身の作品を、遠くから眺めるまなざしは優しく、満足感にあふれたものでした。

 そんな中島さんの好きな場所は?
「やっぱり石神井公園。よくスケッチに出かけたよ」水辺と緑の美しい公園は、絵師ならずとも楽しい散策スポットです。
 そして趣味は...粋でいなせな「寄席」! 地元北町で2ヵ月に1回開かれる寄席の世話人を務めています。
「寄席も、アドリブ的な面白さがあるでしょ。そこがいいんだよね~」
 どこまでも一徹、どこまでも一発勝負! 背景画マイスター中島さんの手仕事、庶民文化の継承を心から願っています。


 

(2008年2月1日更新)


塗り替え前の背景画




描き始めは遠景から


細かい部分は筆で描き込む


雲はタオルをスタンプのように使って


「いいペースで進んでいるね」
弟子の田中みずきさんと


休んでいるように見えても、
目は描いている途中の壁面から
離れない


男湯の背景画「赤富士」が完成!

プロフィール

中島 盛夫さん

中島 盛夫さん

1945年福島県出身。1964年に上京して間もなく、背景画師の故・丸山喜久男氏に師事。初めてローラー使いを考案し、背景画制作の時間短縮に貢献。銭湯の減少にともない背景画師が減る中、丸山清人氏、早川利光氏と並び、日本を代表する背景画師の一人として幅広いフィールドで活躍中。練馬区北町在住

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