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プロフィール/いわぶちこうよう 1994年生まれ。両足首に先天性の障害を持つ両下肢機能障害で、左足には装具を付けてプレーをする。早稲田実業中学で卓球部に入り、早稲田大学4年時にブラジル・リオデジャネイロパラリンピックに出場。卒業後は協和キリン株式会社の実業団チームに所属し、プロ卓球選手として活動。2020年4月時点の世界ランキングは、日本勢トップの第3位。
パラリンピック卓球選手の岩渕幸洋さん(26)は、練馬区出身。東京2020パラリンピック競技大会の日本代表選手として、卓球や東京2020大会にかける思いをお聞きしました。さらに、行きつけの美容室やご家族の皆様にご協力いただき、岩渕選手の知られざる素顔に迫ります!
東京2020大会の目標は「金メダル以上」!
現在、パラリンピック卓球の世界ランキングは第3位。岩渕選手が目標にしているのは、東京2020大会の「金メダル以上」。この言葉には、金メダルの獲得にとどまらず、パラ卓球の魅力を世界中に伝えたいという熱い思いが込められています。その背景には、2016年のリオパラリンピックでの予選敗退という苦い経験がありました。
「初めてのパラリンピックでは出場することが目標になり、全力を出し切れなかった。目標を達成するためには、それ以上の高みを目指さなくてはいけないと痛感しました」
しかし、現地で各国の選手たちと交流し、様々な競技で障害を乗り越えて戦う姿を見るうち、「パラリンピックってなんて偉大で面白いんだろう!」と感動したという岩渕選手。
この体験をきっかけにパラスポーツの魅力を広く伝えていきたいという思いが強くなり、2020年1月、YouTubeチャンネルを開設。練習の合間を縫って、試合の様子や各国の選手の紹介、トレーニングや装具のことなど、パラ卓球についての情報を発信し続けています。
また、新型コロナウイルス感染拡大で2020年3月から全ての大会が中止になったことを憂慮し、11月に練馬区立中村南スポーツ交流センターで「IWABUCHI OPEN」を主催。健常者、障害者の卓球選手たちの試合の様子を配信しました。
写真:©︎YUKI OKADA 「IWABUCHI OPEN」の様子。今後も継続していきたいとのこと!
【岩渕選手の知られざる素顔①】
●マネージャーの上野さん
「話すのが苦手な選手や、競技だけに集中したいと思う選手が多い中、岩渕選手のように取材や講演を積極的に引き受け、自分の言葉で話せる若い選手は珍しいと思います。前向きで明るい性格なので、一度会ったらみんなファンになってしまうんですよ!」
●祖母の益代さん
「普段はおとなしくて小さい声なのに、スピーチや小中学校の講演会に呼ばれる機会が増えて、話すのがすごく上手くなって驚きました」
パラ卓球の面白さは「障害」への攻めと守りの駆け引き!
写真:スピード感あふれる試合は一瞬たりとも目が離せない!
パラ卓球には「車いす」と「立位」があり、障害の程度によりそれぞれ5クラスに分かれています。これに「知的障害」を加えた全11クラスのうち、両足首に先天性の障害を持っている岩渕選手は「立位」の中で2番目に障害が軽い「クラス9」です。
パラスポーツのうち、特に卓球のような対戦競技の醍醐味は、相手の障害の弱点を突いた駆け引きなのだとか!
「相手の弱点をどう攻めるか、自分の弱点をいかにカバーして戦うかがパラ卓球の面白さ。真剣勝負ですから、右手が不自由な選手が相手なら遠慮なく右側を狙います。『かわいそう』ということではなく、その駆け引きを楽しむスポーツとして観てもらえたらうれしいです」
岩渕流プレースタイルを徹底解剖!
岩渕選手の弱点は、左足。
「右利きなので、装具を付けた左足1本に体重がかかるとバランスが取りにくく、バックハンドの深いところを突かれがち。台から離れると揺さぶられてしまうので、ぼくの戦法は、台の近くまで詰めてスピードで勝負する『前陣速攻型』です」
写真:卓球を始めた時から、ラバーの貼り替えには家庭科で使っていたハサミを愛用しています。
自分の強みを活かすため、ラケットにも工夫が! 通常、男子選手は表面が滑らかな「裏ソフトラバー」を両面に貼りますが、岩渕選手がバックハンド側の面に貼っているのは、凹凸がある「表ソフトラバー」。凹凸の変化で相手が打ちにくい球を出してミスを誘い、得意なバックハンドにつなげるためです。
その一方、苦手なのは声の小さい選手なのだとか。
「自分が大きな声を出すタイプなので、静かに飄々(ひょうひょう)とプレーをされるとタイミングがつかみづらいですね(苦笑)」
写真:©︎YUKI OKADA 得点を決めると大声を発してガッツポーズ。客席の大きな声援があると勢いに乗れるそう
どんなスポーツもこなす集中力抜群の子どもだった
写真:子どもの頃の岩渕さん
岩渕選手は大泉学園町で生まれ、両親や祖父母の愛情を一身に受けて育った一人っ子。幼少期から小学6年まで、水泳や体操、野球、サッカー、ゴルフ、スキーといろいろなスポーツを体験させてもらったと話します。
「体を動かすのは好きでしたね。大泉中央公園や比丘尼(びくに)公園、光が丘公園などの遊具も遊び尽くしました(笑)。化石や石にも興味があったので国立科学博物館によく連れて行ってもらいました」
写真:今も試合は必ず観に行くという、母の尚子さん(左)と祖母の益代さん(右)
【岩渕選手の知られざる素顔②】
●母の尚子さん
「やりたいことが見つかればと思い、何でも体験させました。好奇心旺盛で、どれも器用にこなし、『嫌だ』と言うことはなかったですね。私も一緒に遊んだり勉強したりして子育てを楽しめました」
●祖母の益代さん
「こうちゃんは小さい頃から集中力がありました。葉っぱ1枚で、3時間くらい1人でずーっと遊んでいたんですよ。自分なりに考え、研究熱心な子どもでした」
未知の世界への挑戦! パラ卓球との出合い
「中学の部活動はラケットを使う競技がいいかなと思ってテニス部と卓球部を見学し、面白そうだったので卓球部に入部しました」
この時は、まさか世界のトップアスリートになるとは夢にも思わず、ましてやパラ卓球の世界があることも知らなかったそう。
人生の転換期が訪れたのは、中学3年の時。部活の友人と通い始めた卓球のクラブチームで、コーチに言われた「もしかしたらパラ卓球に出られるんじゃないか?」という一言でした。
「最初は、自分が障害者の大会に出ていいのかな?と思いました。装具を付ければ日常生活に支障はなく、障害者だという自覚が全然なかったので」
でも、持ち前の好奇心を発揮し、パラ卓球の試合に参加するため障害者手帳を取得。いざ試合に出てみると…。
「全く歯が立たず、ボロ負けでした。障害の程度によってそれぞれが工夫しながら、いろんな戦い方をしている。こんな世界があるんだと衝撃を受けました」
練習と試合を積み重ねた先のパラリンピック代表選手
写真:実家にあるメダルの数々。今までの功績を物語っています
この体験で、卓球に取り組む姿勢が大きく変わったと話す岩渕選手。
「もともと卓球はあまり強くなくて、最初はずっと勝てなかったんです。でも、パラ卓球の試合で悔しい思いをし、この世界では障害に対する遠慮はいらないとわかったことで、負けた相手に次はどうやったら勝てるかを必死に考えながら練習するようになりました」
パラ卓球を初めてからも、中高時代は健常者、障害者どちらの試合にも出場して経験を積み、放課後・週末は卓球漬け。その成果が実を結び、高校3年のときジャパンオープンパラ選手権で優勝。トップを目指す手応えを感じたといいます。その後、世界大会でも次々と戦績を残し、ついに早稲田大学4年生の時、リオ大会でパラリンピックに初出場!
「練習するのがけっこう好きなので、苦しさや辛さはなかったですね。目の前の相手に勝つため、やるべきことをやってきただけ。少しずつ前に進みながら、気付いたら日本代表になっていたという感じです。運も良かったんだと思います」
卓球を通じて世界の選手たちと友達に!
年に7〜8回海外遠征に行くようになると、世界のトップ選手たちから多くの刺激を受けたと言います。
「日本だと、声をかけられて『大丈夫です。自分でできます』と断ると、お互い気まずくなりがちですが、外国では障害者に対する接し方がとても自然なので、そういったことはありません。また、試合後のパーティーなどで外国選手が自分の意見や個性をはっきり主張する姿に触れると、すごく前向きな気持ちになれました」
パラ卓球の国際大会の舞台は、障害者の活躍がめざましいヨーロッパが中心。海外遠征の機会も増えましたが、1つ大きな問題が・・・。なんと岩渕選手はパンが苦手だったのです!
「最初の頃は、日本からご飯や缶詰、ラーメン、水などスーツケースに半分くらい持って行っていましたが、これではいつまでも“海外=アウェー”になってしまうと思い、今はできるだけ現地の食事を食べるようにしています。でも、試合当日の朝の“勝負飯”だけはご飯と決めているので、アルファ米の保存食は必携です(笑)」
【岩渕選手の知られざる素顔③】
●祖母の益代さん
「こうちゃんが世界を目指すようになったのは、『卓球を通じて世界の人と友達になれるなんてすごい!』という気持ちから。いつも本当に前向きなんです」
100%卓球に打ち込める好環境に感謝!
写真:試合で使用しているカーボン製の装具
現在は、日本卓球リーグ1部の協和キリン卓球部で、プロ選手として活躍中。パラの選手が健常者のチームに所属するのは珍しいそうですが、恵まれた環境の下、日々練習に励んでいます。
今まで自己負担だった装具費用や海外遠征費は、所属チームやスポンサーの支援を受けられるようになり、左足に付ける装具もグレードアップ。以前は、日常生活でも試合でも同じプラスチック製の装具を付けていましたが、現在は試合のために強度の高いカーボン製を特注して使っているそう。
「この装具のおかげで健常の選手に近いプレーができるようになりました。神戸のメーカーなので、3か月に1回ほど定期的に調整に通っています」
今は板橋区での寮生活。寮のすぐ上に練習場があるため、1日のうち9時〜11時と15時〜17時は、ほぼ毎日練習に打ち込んでいるそうです。
地元の熱い応援と、読者へのメッセージ
実家のすぐ近くにある「美容室vintage」は、中学3年生の頃からの行きつけ。店主の大橋健一さんにお話を伺ってきました。
「初めて来た頃はヒョロっとした印象でしたが、今は筋肉がついて精悍(せいかん)な顔つきになり、プロのアスリートですよね。髪の量は多めでくせっ毛。試合中に髪が邪魔になることがないように気を付けています。海外遠征から帰国後、そのまま髪を切りに来ることもありましたね」
なんと大橋さんは、東京2020大会パラ卓球の予選のチケットを全てゲット済み!
「準決勝と決勝の日程はお店を休みにできないのですが、予選は全部応援したいと思います!ケガに気を付けて、プレッシャーに負けず楽しんでほしいですね」
【岩渕選手の知られざる素顔④】
●美容師の大橋さん
「こうちゃんは可愛い弟みたいな存在。いつの間にかすごい選手になっていたけど、いつも自然で、家庭環境の良さを感じます」
岩渕選手の座右の銘は、織田信長の『絶対は絶対にない』という言葉。
「“勝負に絶対はないから油断をしてはいけない”という意味だと思うのですが、ぼくは『絶対にできないことは絶対にない』と捉え、大切にしている言葉です」
最後に、読者へのメッセージをいただきました。
「練馬の皆さんに少しでもパラ卓球に興味をもっていただき、ぼくのプレーを見て何か感じてもらえるようなパフォーマンスを目指したいと思っています。応援よろしくお願いします!」
HP:https://t-4.jp/management/koyo-iwabuchi
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCmu9TnJzNfrvHtrW0YV5Xjg
取材日:2020年12月24日