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プロフィール/かたおかいちろう 1977(昭和52)年生まれ。杉並区出身、幼少期より練馬区在住。日本大学藝術学部を卒業。2002年に活動写真弁士の第一人者・澤登 翠(さわと みどり)氏に入門。これまでに弁士として披露した無声映画は350本以上。海外でも多数公演。役者として映画「春の雪」「カツベン!」やNHK大河ドラマ「いだてん」に出演。2020年9月に初の著書「写真活動弁史」(共和国)を出版、2020年9月に活動写真のDVD化としては日本初となる「都会の女」を発売予定。練馬で好きな場所は、大泉井頭公園。ここは白子川の源流で、川沿いにある桜並木を楽しむ。お気に入りの店は、大泉学園の「権蔵コーヒー(GONZO CAFE&BEANS)」
弁士一筋20年、片岡さんの登場です!
ところで、活動写真弁士(通称・弁士)という職業をご存知ですか? 音のない映画(活動写真)を上映する横で、映画の内容や登場人物のセリフを話す人のこと。台本がないため弁士自身が考えて喋ります。話芸の要素も必要とされながら落語家などと違う点は、映画が主役であるということ。
無声映画は明治、大正、昭和初期ころまで大衆の娯楽として親しまれ、最盛期の1927年頃は全国におよそ7,600人もの弁士がいて、人気の弁士は映画館の客入りを左右するほどでした。
そして現在は…というと10人ほど、その中の一人が片岡さん。今の時代の弁士について、気になることをたっぷりとお聞きしました。
自分を変えたい…、たどり着いたのは弁士だった
〈写真〉秋田県の御成座にて公演中の片岡さん(2018年8月)
職業柄、勢いよく話す人と思いきや、穏やかで落ち着いた語り口。物心つく前から練馬で育ち、移転しながらも小学校は北町西、中学は練馬東、高校は光丘、大学は日芸。「学歴は全部、練馬」と言います。高校では演劇部、日芸では演劇学科を専攻し、その後、弁士を目指すようになったのは…?
「高校に入る頃って、これまでの自分を変えたくなることがありますよね!? それまでは目立つのが嫌いで人前に出るのも怖かったのですが、自分を表現してみようと思って演劇部へ入ったんです」
その後、大学の時に落語や講談と出会い、その先に弁士があったと言います。
「弁士という職業は昔のものと思っていましたが、現代も存在することを知って驚きました。試しに、無声映画を上映するイベントに足を運んだら、80年以上前の映画をおもしろく観ることができた。ああ、自分でもやってみたい! と思ったんです。弁士は話すだけでなく、台本や舞台演出も手がけるのだと知って、もともと裏方気質もあったので、弁士に魅かれていきました」
ご自身の性に合っていた弁士にたどり着いたということですね。
弁士の魅力は、映画を活かす“闇の詩人”
〈写真〉中国で開催された「第1回 海南島国際映画祭」にて公演中の片岡さん(2018年12月)
無声映画が盛り上がっていたおよそ100年前、弁士自身がオリジナルの台本を書き、それを自分の表現力で語り、さらに楽士による生演奏が付き、映画が完成。まさにライブのような映画上映だったのです。
「弁士は日本独自のものではなく、欧米にもいました。ただ日本ほど発達して人気を得た国はありません。最盛期のトップの弁士は、当時の総理大臣よりも収入があったそうですよ」
そのエピソードだけでも、国民に愛されていた娯楽だったことがわかります。映画「カツベン!」の中で、名弁士に「七色の声を持つ」「闇の詩人」という印象的な"通り名"が付いていましたね。
「日本最大の売れっ子弁士・徳川夢声(とくがわ むせい・1894年−1971年)の言葉を借りれば、『映画が活きるのがベスト』。つまり、映画を観ていて弁士の存在を忘れてしまうのが最上だと言うんです」
「ただ本当に弁士の存在を忘れたら、徳川夢声が売れるわけがない。売れるということは、存在感はありつつも映画の邪魔にならないということ。当時の雑誌を読むと、『映画を鑑賞しているのに(弁士がいるせいで)駄作が佳作にもなってしまう』とあるんですね(笑)。夢声はまさに、映画を活かす語り手の筆頭だったんですね」
弁士の語りで、映画の作品レベルが変わるほど、大きな影響があったのですね。
就職せずに弁士の道へ
〈写真〉普段は丸メガネを愛用
「大学生の頃、マツダ映画社(日本で唯一、無声映画を専門に扱っている映画会社)の弁士アマチュアサークルに参加していましたが、仕事にするとは考えていませんでした。就職を考える時期に、昭和レトロな鶯谷のキャバレーが、無声映画を毎日上映する『東京キネマ倶楽部』に変わるという知らせがありまして。『これは弁士でいけるかも!?』と。当時、弁士は10人もいなかったし、上の方にいけば安定する、食べていけるんじゃないかと、20代の浅はかな判断をしてしまったわけですね(笑)」
“好き”を仕事にしたい。いよいよ片岡さんの弁士人生が動き出しました。
就職せず、片岡さんが心酔した弁士の第一人者・澤登 翠さんに入門を願いますが、「弟子はとらない」と断られ…。それでも澤登さんの後を1年かけてついて歩き、ついに初弟子にしてもらったそうです。
「稽古はなく、いわゆる『見て盗む』という方法でした。師匠がああしろ、こうしろとか、師匠の前でやってみて『いかがでしょうか?』というのもありませんでした」
「何も言われないということは、自分で考えるしかない。難しくて厳しいことですが、本当に好きだからこそ続けられた。東京キネマ倶楽部の座付き弁士のオーディションには結局通らず…。各地で開催される無声映画の上映会など、ぽつぽつと上演の仕事も入りましたが、30歳くらいまではアルバイトをかけもち。先行きの不安もありましたね」と当時を振り返ります。
映画「カツベン!」で演技指導、出演も果たす!
〈写真〉映画「カツベン!」で一緒に演技指導をした同業者・坂本頼光さん(左)と(2017年4月)
そんな片岡さんに白羽の矢が。映画「カツベン!」(周防正行監督)では、演技指導と役者としても出演。ストーリーの 随所に片岡さんの弁士にまつわるエピソードが採用されているとのこと。
「映画の見所は、主演の成田凌さんをはじめ、永瀬正敏さん、高良健吾さん、森田甘路さんのすばらしい弁士っぷり。私は主に高良さんと森田さんの指導にあたりました。どうやったら大正時代の弁士の雰囲気を出しつつ、現代の俳優さんの持ち味も発揮できるか、それが作品に調和するか、という点に気を配りました」
「彼らの上達の早さには舌を巻きました。主要キャストの人たちが弁士の仕事だけに専念したら、1年で現役を抜いてしまうんじゃないか!? と思いました」
国定忠治が刀を構える劇中劇のシーンは、石神井公園で撮影しているんですって。ぜひ片岡さんの出演シーンと併せて探してみてくださいね!
古くて新しい!? 「オンライン弁士」という可能性
〈写真〉失われた無声映画フィルムの発掘も行う片岡さん。高峰秀子さん出演作「私のパパさんママが好き」のフィルムをチェック中
コロナ禍で、真っ先に打撃を受けたのが舞台芸術。そんな中、オンライン開催となったドイツの映画祭で、片岡さんが挑戦したのがオンライン弁士です。
「もともと映画はモニター越しに見ているのでお客さんに抵抗がないようで。オンライン弁士は意外といけるんじゃないかと思います。今後、通信速度が上がってタイムラグがなければ、私が日本で弁士をやって、アメリカのミュージシャンが生演奏をするといった、国境をまたいだパフォーマンスも可能です。弁士を入り口に、世界の優秀なミュージシャンを日本に紹介できる機会にもなりそうです」
古さと新しさの融合…。新たな試みで可能性が広がりますね。
〈写真〉片岡さんが使用するために書き起こした、映画「雄呂血(おろち)」「鞍馬天狗」の台本
一方、舞台では吉本興業と提携し、月1回の定期公演が決まったそうです。会場は2020年8月オープン予定の「よしもと有楽町シアター」(有楽町スバル座跡地)。
「吉本の芸人さんが、京都国際映画祭で弁士に挑戦するというイベントにずっと関わってきました。芸人さんの弁士としての腕も上がってきたので、私と交互に出演する予定です」
未来のために、弁士の音源を海外でデジタル公開
〈写真〉アメリカ・ミシガンシアターで公演。看板には大きく「KATAOKA ICHIRO」の名前が!(2012年9月)
「好きなことはなんでも知っていたい」と資料や書籍を収集し、弁士の歴史にも驚くほど詳しい片岡さんは、稀有な存在です。日本の映画と弁士の文化を広めようと、海外でも活動しています。
公演で行った事のある国は、クロアチア、ドイツ、オーストラリア、アメリカ、カナダ、イタリア、オーストリア、チェコ、ウクライナ、イギリス、スイス、ポーランド、オランダ、ベルギー、フランス、中国、タイ、ロシア、フィリピンの19か国。
「海外では、翻訳をつけて無声映画の公演を行い、それ以外にも、アメリカのミシガン大学では非常勤講師として勤務していました(2012年9月から7か月)」
〈写真〉「The art of Benshi アメリカ UCLA」で出演者と記念撮影(2019年3月)
片岡さんの所有する弁士のSPレコード3,000枚をドイツのボン大学に寄贈し、日本とドイツを半年ずつ生活の拠点を移しながら(2013年から2016年まで)、資料の整理をしていたとのこと。
「寄贈しようと思ったのは、東日本大震災があったから。きちんと保存しておかなければ貴重な文化に対して責任を負えないと思ったからです。寄贈した一部をデジタルアーカイブするプロジェクトが進行中で、ネットで世界中の人に公開できます」
ドイツでのこのプロジェクトには6,000万円の予算がついたそうですが、「日本でできたらという気持ちはありますが、これだけの予算は絶対つかない」と、文化芸術振興についての日独の差を感じたそうです。
昔と今をつなぎ、日本と世界に伝統文化を継承する伝道師のような片岡さん。スクリーンの映像に命を吹き込む弁士・片岡さんを観に行きたくなりました。
〈写真〉弁士の歴史などを書き記した片岡さん初の著書「写真活動弁史」(2020年9月刊・共和国)の中で掲載される昔の絵はがき
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写真提供:片岡さん(2、3、5〜9枚目)
取材日:2020年6月17日