特集記事 Reviews
#002 落語家
春風亭正朝さん
「IMA寄席200回記念公演」の様子。
師匠の思い出、光が丘との縁
正朝さんがここ光が丘に住んで、かれこれ20年近くになります。病に倒れた柳朝師匠の身の周りの世話をするのがきっかけになったとか。所沢、椎名町から師匠が終の棲家として光が丘に移った1985年は、ちょうど正朝さんが真打に昇進した年でもあります。
「師匠というのは、普通は弟子の真打披露興行のときについていてくれたり『こいつをひとつよろしく』といってひきまわしてくれるもんですが、倒れて半身不随になってからは『お前に何もしてやれなくて悪いな…』が口癖でしたね」
と、師匠の思い出を語ってくれた正朝さん。絶好調だった時代の師匠のテープを聞くと、やっぱり「うめえなぁ~。自分はまだまだ」と思うそうです。入門当時をなつかしく振り返り、粋で伊達だった師匠のエピソードも聞かせてくれました。
「ずいぶんと汚い家に住んでいましたよ(笑)。『宵越しの金は持たねえ』って人でしたから、お金がなかったんでしょう。でも、お洒落な人でね、衣装や靴は、6畳一間の中に山と積んでありました」
祝200回! 光が丘IMA寄席は、
気負わず、休まず、淡々と
そんな思い出深い光が丘で正朝さんが続けているのが木戸銭100円のIMA寄席。9月24日(日)には200回記念を迎えました。朝から満員御礼の会場は、今かいまかと開演を待つ観客の熱気でいっぱいです。
注目すべきこの日の演目は…? やっぱり秋は秋刀魚でしょ、それも「目黒の秋刀魚」でなくちゃ! というこちらの期待に見事に応えてくれました~。
時は江戸。殿様は遠出のおりに目黒で食した脂ののったサンマの味が忘れられない。ぜひまた食べたいと言ったので、家来たちが取り寄せたのは日本橋河岸から取り寄せた最高級のサンマ。この脂が体に障っては一大事と、わざわざ「骨抜きの脂抜き」、パサパサにして献上したところ、どうも合点のいかない様子の殿様…。ほらね、やっぱり秋刀魚は目黒に限る! というお馴染みの噺。正朝さんにとっても十八番(おはこ)といえるこの演目、その成熟した、脂ののった芸に観客席からはどっと笑いが起こりっぱなしでした。
落語の後は、200回を記念して志村練馬区長から感謝状の贈呈、弟弟子の勢朝さんとの軽妙な会話で会場をわかせながらのお楽しみ抽選会。
主宰者からの賛辞にさぞ緊張し、気合が入っているかと思いきや、当人はいたって謙虚、かつマイペースで、舞台がはねた後のインタビューに応じてくれました。
「いやぁ、おかげさまで200回続いちゃったけどね、僕は落語を広めようとか地域に貢献しようなんて大それたことは考えてないんだよ~」と、肩カックンとなりそうなコメントが(笑)。
とはいえ、「噺家として、お客さんの反応をリアルに感じられるこの場が、とても勉強になるのは事実。皆さんが楽しんいるのを見るのは素直にうれしくありがたい。僕としては地元の気安さもあるし、落語の研鑽をするのに欠かせない場ですね」と、練馬区にとってうれしい言葉をいただきました。
文武両道?!
スポーツマンシップと人情と
古典芸能の伝道者として日々研鑽の正朝さん、無類のサッカー好きとしても有名です。
落語協会サッカー部「RFCマンダラーズ」を主宰、監督、キャプテンとして10番を背負ってプレーする他、芸能人によるサッカーチーム「ザ・ミイラ」にも所属。サッカー界に知人も多く、中でも元横浜マリノス木村和司氏とは公私共に親交が深いとか。プレーヤーとしてだけでなく、このほど3級審判の資格も取得したというから、その情熱もただものではない?!
そんな正朝さんが落語で大切にしている信条、それは常に『今を生きる古典落語』を創造し、表現していくことだと言います。でも、あくまでも古典にこだわるのはなぜ?
「まずストーリーがあり、そして登場人物がみな魅力的だからです。落語は江戸時代から続いているけれど、時代が変わってもお客さんは同じところで笑うんです。これは、日本人の心、人情の機微はいつまでも変わらないってこと。人間っていいな、というのがベースにあるんですね」
また古典は、同じ人が演じても毎回違うし、同じ演目でも演じる人によってがらりと感じが変わるところも魅力とか。そのせいか、「アドリブが命」のジャズを好きな落語家も多いそうです。
IMAの寄席――師匠が言うようにこれからも「気負わず自然体で」、300回、400回とアドリブの効いた落語を聞かせて欲しいですね。
正朝さんがここ光が丘に住んで、かれこれ20年近くになります。病に倒れた柳朝師匠の身の周りの世話をするのがきっかけになったとか。所沢、椎名町から師匠が終の棲家として光が丘に移った1985年は、ちょうど正朝さんが真打に昇進した年でもあります。
「師匠というのは、普通は弟子の真打披露興行のときについていてくれたり『こいつをひとつよろしく』といってひきまわしてくれるもんですが、倒れて半身不随になってからは『お前に何もしてやれなくて悪いな…』が口癖でしたね」
と、師匠の思い出を語ってくれた正朝さん。絶好調だった時代の師匠のテープを聞くと、やっぱり「うめえなぁ~。自分はまだまだ」と思うそうです。入門当時をなつかしく振り返り、粋で伊達だった師匠のエピソードも聞かせてくれました。
「ずいぶんと汚い家に住んでいましたよ(笑)。『宵越しの金は持たねえ』って人でしたから、お金がなかったんでしょう。でも、お洒落な人でね、衣装や靴は、6畳一間の中に山と積んでありました」
祝200回! 光が丘IMA寄席は、
気負わず、休まず、淡々と
そんな思い出深い光が丘で正朝さんが続けているのが木戸銭100円のIMA寄席。9月24日(日)には200回記念を迎えました。朝から満員御礼の会場は、今かいまかと開演を待つ観客の熱気でいっぱいです。
注目すべきこの日の演目は…? やっぱり秋は秋刀魚でしょ、それも「目黒の秋刀魚」でなくちゃ! というこちらの期待に見事に応えてくれました~。
時は江戸。殿様は遠出のおりに目黒で食した脂ののったサンマの味が忘れられない。ぜひまた食べたいと言ったので、家来たちが取り寄せたのは日本橋河岸から取り寄せた最高級のサンマ。この脂が体に障っては一大事と、わざわざ「骨抜きの脂抜き」、パサパサにして献上したところ、どうも合点のいかない様子の殿様…。ほらね、やっぱり秋刀魚は目黒に限る! というお馴染みの噺。正朝さんにとっても十八番(おはこ)といえるこの演目、その成熟した、脂ののった芸に観客席からはどっと笑いが起こりっぱなしでした。
落語の後は、200回を記念して志村練馬区長から感謝状の贈呈、弟弟子の勢朝さんとの軽妙な会話で会場をわかせながらのお楽しみ抽選会。
主宰者からの賛辞にさぞ緊張し、気合が入っているかと思いきや、当人はいたって謙虚、かつマイペースで、舞台がはねた後のインタビューに応じてくれました。
「いやぁ、おかげさまで200回続いちゃったけどね、僕は落語を広めようとか地域に貢献しようなんて大それたことは考えてないんだよ~」と、肩カックンとなりそうなコメントが(笑)。
とはいえ、「噺家として、お客さんの反応をリアルに感じられるこの場が、とても勉強になるのは事実。皆さんが楽しんいるのを見るのは素直にうれしくありがたい。僕としては地元の気安さもあるし、落語の研鑽をするのに欠かせない場ですね」と、練馬区にとってうれしい言葉をいただきました。
文武両道?!
スポーツマンシップと人情と
古典芸能の伝道者として日々研鑽の正朝さん、無類のサッカー好きとしても有名です。
落語協会サッカー部「RFCマンダラーズ」を主宰、監督、キャプテンとして10番を背負ってプレーする他、芸能人によるサッカーチーム「ザ・ミイラ」にも所属。サッカー界に知人も多く、中でも元横浜マリノス木村和司氏とは公私共に親交が深いとか。プレーヤーとしてだけでなく、このほど3級審判の資格も取得したというから、その情熱もただものではない?!
そんな正朝さんが落語で大切にしている信条、それは常に『今を生きる古典落語』を創造し、表現していくことだと言います。でも、あくまでも古典にこだわるのはなぜ?
「まずストーリーがあり、そして登場人物がみな魅力的だからです。落語は江戸時代から続いているけれど、時代が変わってもお客さんは同じところで笑うんです。これは、日本人の心、人情の機微はいつまでも変わらないってこと。人間っていいな、というのがベースにあるんですね」
また古典は、同じ人が演じても毎回違うし、同じ演目でも演じる人によってがらりと感じが変わるところも魅力とか。そのせいか、「アドリブが命」のジャズを好きな落語家も多いそうです。
IMAの寄席――師匠が言うようにこれからも「気負わず自然体で」、300回、400回とアドリブの効いた落語を聞かせて欲しいですね。
(2006年11月1日更新)
プロフィール
春風亭正朝さん
光が丘在住の落語家。1975年7月に入門、五代目・春風亭柳朝(故)に師事。1980年二ツ目、1985年真打昇進。毎月1回、光が丘IMAホールにて「IMA寄席」を開催、9月で200回を数えた。その功績とはうらはらに、本人はいたって自然体。思わず熱くなる趣味はサッカー。はたまたフランス語、そして美しい女性(!)というスバラシイバランス感覚の持ち主。